2012年度の活動

2013.02.23. 「新春講演会」開催

東京大学名誉教授坂井榮八郎先生を講師に迎え、講演会「ドイツと日本 - 似ているようで似ていない国 -」を千葉市生涯学習センターで開催し、盛況のうちに終了した。講演後開催された懇親会には、元東独、西独、統一ドイツの大使を歴任された(公益財団法人)日独協会の木村敬三副会長も出席され、「坂井先生の講演はとても印象的で、初めて聞く話もあり、とても参考になった」と絶賛された。

2012.12.23. 「第35回習志野第九演奏会」開催

習志野ホールのオープン(1978年12月)を記念して始まったベートーヴェン(Ludwig van Beethoven) の交響曲第9番ニ短調(作品125「合唱付き」)の演奏会は、今年で満35回目の記念公演となった。この演奏会の大きな特徴は、公募された市民から成る「NPO法人 習志野第九合唱団」が習志野フィルハーモニー管弦楽団と演奏するもので、今年は325人の市民が参加した。地元の千葉県立津田沼高校の合唱部が賛助出演し、演奏に華を添えた。

演奏は、須藤桂司が指揮し、招請されたソプラノ・大貫裕子、メゾ・ソプラノ森山京子、テノール・市原多朗、バス・柴山昌宣(合唱指揮・安藤純、練習ピアニスト・マグルーダー雅子)とともに、フリードリッヒ・フォン・シラー(Friedrich von Schiller)の「歓喜に寄せて」(An die Freude) を高らかに歌い上げ、ほぼ満席の聴衆席から何度も「ブラボー」の声が上がっていた。ドイツ連邦共和国大使館、当協会が後援を続けており、演奏会当日は、着任間もないという同大使館アシスタント・アタッシェのティム・クレーマー(Tim Krämer) さん(27)らが来場した。

ドイツ大使館の広報文化部長のクラウス・アウア氏は「(この演奏会は)第一次世界大戦後にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が築いてきた伝統に倣うものであり、・・・日独の伝統が今後も長く続いていくことを願っています」と、パンフレットに挨拶文を寄せた。第1回から参加し、団長を務めたこともある当協会の友野信善 ・理事は、この演奏会の開催を伝える毎日新聞千葉版に「35回も続いて感慨深い。ドイツとのつながりも深められ意義ある活動です」(12.19.付け) と述べていた。

この日、会場で配られたパンフレットに「習志野第九演奏会35 回のあゆみ」のページがあり、歴代出演のオーケストラ、指揮者、歌手の一覧があった。この中で、当協会の野村陽子・理事(元ベルリン・オペラ劇場専属歌手、メゾソプラノ)が1981, 1983-4年に計3回、出演していることが記載されている。

なお、この日は「第九」の演奏に先立って、ヘンリー・パーセル作曲「アブデラザール組曲 Z.570」も演奏された。

2012.12.8. 「クリスマス・忘年会」開催

「こんな楽しい夜は久し振りだ」「ワインもお料理も美味しかったし、皆んなで歌ったドイツ民謡も・・・」――。当協会常任理事で、前麗澤大学教授、奥野保明氏のはからいにより同大学構内にあるレストラン「まんりょう」(柏市光ケ丘2-1-1-)で開かれた’12年の「クリスマス・忘年会」。

厳しい寒さが身を包むこの夜、家路をたどる32人の参加会員と家族たちには覚めやらぬ高ぶりと満ち足りた表情が漂っていた。

冒頭、挨拶に立った宗宮好和会長が2012年の「南西ドイツ旅行」(6/1 – 6/10) が何時だったか、と思われるくらいに時の流れが早いと述べて「ボケは『時間』と『空間』、『関係』の順に進むというが、私はこの『時間』、つまり何時、何があったかが定かでなくなりつつあるので、ボケのファースト・ステージに来ている」などとユーモァを交えて挨拶した。続いて、橋口正八・副会長の音頭で乾杯。飲み放題でもあり、持ち込んだワイン、ドブロクなどへも手が伸び、会場は、早くも”全開モード”へ。この日のメニューと飲み物(会費・1人・¥4,000)は次の通り。

次々に運ばれてくるお料理とワインに舌鼓をうち、談笑が暫く続いたが、やがて会員たちの「もう一つの楽しみ」ドイツ民謡へ。小野浩・担当理事らが用意したドイツ語の歌唱集が全員に配られた。早速、歌唱指導に定評のある二宮一男・理事が愛用のピアニカを持参して立ち上がった。張り切った二宮理事が上着を脱ぐと、会員たちからヤンやの拍手・喝采が湧いた。二宮理事が羽織ったヴェストはなんと、ドイツ連邦共和国の国旗3色(黒=勤勉、赤=情熱、ゴールド=名誉)で彩られているではないか!いやが上にも雰囲気は盛り上がる。ベルリン・オペラ劇場の専属歌手を17年間も務めた野村陽子・理事が促されて立ち上がり、習志野第九合唱団(第九)の元団長、友野信善・理事、さらにシューベルトの「魔王」を舞台で披露したばかりの吉田千賀子さんが加わって、大合唱。野ばら、ローレライ、聖しこの夜、もみの木、菩提樹など会員たちは時が経つのも忘れて声を張り上げていた。


余韻漂う会場で、全員集合「ハイ、チーズ!」

このクリスマス・忘年会に先立ち、奥野常任理事とその恩師である田中駿平・同大学常務理事の案内で、当協会の会員27人が大学構内を見学した。同大学は1935(昭和10)年に道徳科学専攻の本科と別科を開塾・創立された。1950(昭和25)年に短大(英語科)、1959(昭和34)年に大学として開学、現在アジアを中心に30の大学と提携している。
同大学のご自慢は、30数万平方メートルに及ぶ「麗澤の森」で、大学はこの森の中に配置されている。この森は、学生・教職員だけでなく、すべての人々が「仁草木に及ぶ」(慈しみの心を、人間はもとより植物にも及ぼす)という創立者廣池千九郎の仁愛の精神に触れて道徳心を養うのが狙いという。

クヌギ、コナラ、シラカンなどの樹林による外周フェンスの中は、165種の樹木と300種類近い草花がそれぞれのゾーンに配置され、季節ごとに色とりどりの景観を見せて飽きさせない。キャンパスプラザ前は桜並木が昭和初期の佇まいをみせて、菩提樹、ナンキンハゼ、ナツツバキ、ヤマモモ、ハナノキが続く。中央広場前では、5月に真っ白な花を一斉に開花させるヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)の大樹、カイノキ。研究棟近くでは、人気のハンカチノキが白い花を咲かせ(5月)、これを目当てに訪れる人も多い。田中・常務理事は俳優の田中邦衛の実弟だといい「結構、似ているでしょう」などとユーモアを交えながら、ゾーン内を丁寧に説明してくれた。当協会としては、改めて同大学に心から謝意を評したい。

2012.11.18.「第18回ドイツ軍人追悼慰霊祭」開催


慰霊祭の様子

千葉県日独協会設立のきっかけとなり、協会最大のイベントでもある「ドイツ軍人慰霊祭」が今年も船橋市習志野霊園にあるドイツ軍人墓地で行われた。今年は第18回目に当たる。船橋市のはからいで墓碑の周囲は真新しい玉砂利が敷き詰められ、新調のお花立てやお線香立てに供えられた花々などが彩りを添え快晴の中、約70人が参列した。当協会の西阪智晃・事務局長の司会で墓地に眠る30人のドイツ軍人に黙とうを捧げ「習志野第九合唱団」有志13人と参列者によるドイツ連邦共和国国家の演奏で始まった。

宗宮好和会長が追悼・慰霊の辞に立ち、第一次世界大戦中習志野に設けられた俘虜収容所の約1000人と地元住民との交流に触れた後「国際的次元の対立にかかわらず(日本とドイツ)両国民の友情はこの体験によって一層固められました」と述べた。会長は当時の交流を象徴する、一つのエピソードとして、ドイツ軍人から生徒とともに度々収容所を訪れた小学校の女性教師に贈られたボトルシップを紹介しながら「私たちは昨(2011)年2月11日に研究会を立ち上げました。ドイツの捕虜の人たちがどこから来て、どのように(収容所で)過ごしたか、そして何を残したか、それらを調べることを目的にするものです。研究会はこのすばらしい贈り物にちなんで『ボトルシップ研究会』と名付けられています」と、協会の新しい取り組みを披露し、軍人たちのご冥福と全地球の平和を、と結んだ。

続いて、任期によりこれが”最後の慰霊祭”参列となるヨアヒム・グトー海軍大佐(在日ドイツ連邦共和国武官)が「ドイツ国民とドイツ国防軍の名において慰霊祭に参列される皆さまに感謝申し上げます」と、式辞を読み始めた。同大佐は「かつて戦場で戦い、その後互いに友となった人たちに、ここで思いを馳せるのはとても素晴らしいことです。そして、日独の深い友情が永い歴史を重ねてきたこともまた素晴らしいことです」と、感慨を新たに語った。さらに、同大佐は昨年の日独交流150周年に触れて「(この慰霊祭を行う)船橋と習志野の皆さま方はこれから150年においても緊密の友好関係(の維持・継続)を確信させる最高の証拠でもあります」などと、感謝の言葉を綴っていた。

船橋市長代理の羽鳥賢二・同市国際交流室長は「平和の尊さへの思いは世代の交代によって風化させてはなりません。この慰霊祭は日独両国の友好はもとより世界平和を築くうえでも大きな意義を持つものであります」と、強調した。また、習志野市長代理の島田行信・同市副市長は、収容所があったこと自体と、収容所で本邦初演奏されたとされる「青きドナウ」、ソーセージ製造法を教えられたことなどをそれぞれ『市の歴史的遺産』とアピールした。島田氏はさらに、この10月に実施した3回目の「ドイツフェア」と、毎年12月に行っている「習志野第九(ベートーベン)合唱団」の演奏が35回目を数えることを強調し、「習志野市は今もドイツを思う心を持ち続けています。現代に生きる我々が先人に敬意を表し、更なる友好を深めることが故郷への思いを胸に異国で亡くなられた御霊への最高の供養です」と、述べていた。

この墓地に眠る30人について、当協会の橋口昭八・副会長が1人ひとりの氏名と肩書を読み上げる「御霊紹介」をした。続いて、合唱団、参列者によるドイツ軍人葬送歌「よき友」(Der gute Kamerad)」が流れる中、献花に。長身のグトー大佐が墓前に進み出て大きな花輪を捧げ、来賓、当協会役員・会員、参列者全員が次々に菊の花を供え、記念撮影で式典を終えた。


直会後の記念撮影

午後から、霊園に隣接する陸上自衛隊第1空挺団(駐屯地)に会場を移し「直会(なおらい)」を行った。主催者側を代表して宗宮会長の挨拶に続いて、グトー大佐が駐日・3年の任期が明ける来年に本国へ帰国する、と報告すると、会場からため息が洩れていた。赤羽敏夫・同空挺団長代理、地元の自治会長・縄田豊宏氏らも永年の思いを挨拶に込めていた。慰霊祭とは趣きを変えてビール、弁当を食しながらの会場は随所で歓談が盛り上がった。当協会の新会員となった横堀勝一氏が紹介されたり、神谷數房氏がマイクを握り、1968(昭和43)年から1970(同45)年までこの空挺団の落下傘整備隊に所属しながら当時荒れたドイツ軍人墓地を清掃した思い出を披露して会場から驚きの声が上がっていた。

2012.10.26. 「親睦日帰りバス旅行~秋の房総巡り~」開催


ドイツマルクトプラッツにて

当協会会員の親睦と日独交流ゆかりの地を訪ねるバス旅行が会員ら36人が参加して行われた。JR千葉駅近くに集合、大型バスで「東京ドイツ村」(千葉県袖ケ浦市、2001年開園)へ。広大な房総の丘陵に「自然と人が共に過ごせる」をテーマにした「花と緑のテーマパーク」。会員たちはキバナコスモス、コスモス、ラベンダーが咲く園内を散策したり、記念撮影をした後、昨年「日独交流150周年」を記念してドイツ連邦共和国大使館から寄贈され、植樹された菩提樹の生育ぶりに目を細めた。

次は、19世紀後半欧州ジャポニズムに大きな影響を与えた葛飾北斎が学んだという「行元寺」(ぎょうがんじ・いすみ市)。北斎の『富獄三十六景』「神奈川沖浪裏図」の動的遠近法などは、「波の伊八」の異名を持つ武志伊八郎信由がこの寺の欄間に彫った作品をお手本にしたとされる。80歳を超える行元寺の住職が「波の伊八」から北斎、歌川広重らゴッホ、セザンヌ、さらには作曲家のドビッシーにまで影響を与えた説明を詳細に語ってくれて会員たちは大いに感激し、耳を傾けた。


御宿歴史民俗資料館にて

昼食は、漁港から直接仕入れる割烹(いすみ市)で。参加者は、刺身定食、天ぷら定食など思いおもいに舌鼓をうった後、御宿歴史民俗資料館(御宿町)を訪ねた。 同資料館は「(財)五倫文庫」が中心となって1975(昭和50)年に建設されたもので、1892(明治25)年に設立された「五倫文庫」の保存にもあたる。この「五倫文庫」の理事長、伊藤良昌氏(当協会会員)のお父さん、庸二氏は海軍の将校としてドレスデン工科大学に留学し、絵本「ぼうぼうあたま」(原作H・ホフマン”Der Struwwelpeter)を翻訳したことでも知られる。これが縁となり、1991年にドイツ・ぼうぼうあたま博物館と同資料館・五倫文庫が姉妹提携している。ここにも日独交流150周年記念・菩提樹が植樹され、会員たちは順調に育っている樹に日独交流に思いを重ねていた。


シュタイナー学園で説明を受ける

最後の訪問地は「あしたの国シュタイナー学園・こども園」(長南町)。ドイツのルドルフ・シュタイナー(1861-1925)の思想「人間的であること、自由であること」に共鳴し、2004年に設立された学校。夕暮れ迫る中、蕎麦屋を改装した素朴だが、温かく、ゆったりとした校舎・教室で教育方針などについて学園関係者から説明を受けた。
1~3年生4人、6年生7人が学んでいる8年間の一貫教育を目指しているという。この学園の運営にあたっているNPO法人「あしたの国まちづくりの会」は、当協会会員で、早稲田大学名誉教授、子安美知子氏が理事を務めている。旅行参加者は、学園の生徒たちのお母さんたち手作りのケーキ、スープをご馳走になり、帰途についた。

2012.10.20. 「第11回ボトルシップ研究会」開催 詳細はこちら>

 

2012.10.04. – 11.29.(全5回)ドイツ語勉強会 開催

当協会恒例のドイツ語勉強会は、平尾浩三・名誉会長(東大名誉教授)を講師に会員希望者約20人(会員外希望者も可)で始まった。会場の都合で今回は、変則的な開催となった。テキストは「心の臓のものがたり」(Erzählungen aus dem Mittelalter Das Herzmäre)。中世ドイツの宮廷生活で極めて重要な概念であった「Minne」(『愛』=とくに、男女の)をテーマに、貴族の夫人と騎士の交際を軸に描くストーリー。テキストに沿った読解の他、平尾先生お得意の“脱線講義”が会員の人気を呼ぶ。語彙からセンテンスの解釈だけでなく、言葉の「時代」と「文化」・「生活」、ドイツ語の生成と発展、関連するさまざまな事柄がホワイトボードに所狭しと文字が躍る。会員のロスウィータ・大河内さん(ミュンヘン出身)の朗読と発音指導、さらにドイツ語が持つ微妙なニュアンスについてのやりとりも会員の人気の一つである。

2012.10.13./14. 「習志野ドイツフェア&グルメフェスタ ~ドイツツーリズム2012~」後援


千葉県日独協会のコーナー

  JR津田沼駅南口の公園と、モリシアビルで開かれた。習志野市には、第一次世界大戦中に「習志野俘虜収容所」が置かれ、約1,000人のドイツ兵士らが収容されていた。同市はこの歴史的財産とドイツとの交流を紹介しながら、地域・商店街の活性化を図るのがフェスタの狙いで、今年は3回目。 当協会は、習志野市の要請でフェスタを後援したほか、「習志野俘虜収容所」「ドイツと千葉県」「千葉県日独協会の活動」をテーマに写真展をモリシアビルで行った。88枚の写真と、35枚の説明パネルを来場者が熱心に見入っていた。


会員推薦グループの演奏

また、賑やかなドイツ色で会場を彩りたいという市側の希望で、当協会役員が奔走しアコーディオンとピアノのアーティスト2人に特別出演を依頼してドイツの民謡や楽曲を演奏した。写真展と演奏会などを併せて2日間で、23,752人の来場者(習志野市調べ)で賑わった。
この中から、当協会の入会希望者も現れて、当協会にとっても有意義なフェスタであった。

2012.9.1.「ビール祭り」開催


Prosit! 乾杯

会員及び家族らの親睦をはかるため、東京・有楽町の「バーデン・バーデン」で開催され、担当者の予想を上回る40人が参加。ミュンヘン・ホーフブロイハウスの生樽やソーセージなどを楽しみながら、ドイツ・リートを唄い、暑さを吹き飛ばした。

2012.8.4-5.「いちかわドイツディ」に参加

市川市と姉妹交流先のドイツ・ローゼンハイム市の訪問親善団を迎えて、市川市ニッケコルトンプラザで「いちかわドイツディ」が開催された。当協会は同市の要請により「ドイツと千葉県」、「千葉県日独協会の活動」、さらに「日独交流150周年記念菩提樹植樹」の写真展を開催して参加した。

2012.6.1.~ 10. 「デュッセルドルフ日本デー参加と南西ドイツの旅」開催

千葉県とドイツ・デュッセルドルフ市は2005(平成17)年から友好都市としてさまざまな交流を実施している。2012年はデュッセルドルフ市のライン河畔で6月2日、盛大な「日本デー」が開催された。当協会は宗宮好和会長、橋口昭八副会長ら理事、会員、家族、友人など23人で旅行団を結成し「日本デー」に参加。森田健作千葉県知事はじめ県幹部とともに「千葉県ブース」で千葉県のPRにつとめ、ドイツ人に折り紙を指導したり、幼児、若い女性を含むドイツ人に鎧・兜を着てもらって「にわか武士(サムライ)」を体験してもらうなど人気を呼んだ。
その後、リューデスハイム~古代ローマ遺跡のトリア~若きゲーテ 思い出のストラスブール~シュヴァルツヴァルト(黒い森)~ボーデン湖畔コンスタンツ~チュービンゲン~シュトットガルト~バーデン・バーデンなどを旅行した。
この旅行に先立ち4月26日~5月17日に当協会所属の大学名誉教授や招待講師らを講師に「事前勉強会」を行なった。テーマは「旅行の要領と見所」から「チュービンゲン~歴史と文化~」「ドイツの森・グリムの森」「(ドイツ)中世への旅」などで、講師が次々に、長年の知識・経験を踏まえた薀蓄ある熱弁を披露し旅行参加者だけでなく、旅行参加以外の会員らの好評を博した。

2012.5.19. 年次総会と記念講演会の開催


講演中のヘルトマン広報・文化部長

年次総会では前年度の会計報告、事業報告を承認し、今年度の事業計画、予算、役員改選等を決定した。

このあと、ドイツ連邦共和国大使館参事官、ピット・ヘルトマン広報・文化部長による記念講演を行った。演題は「ドイツの現在と今後の展望―日独両国の共通の課題」。
ヘルトマン部長は講演の中で、ベルリンの壁崩壊以降のドイツの内外情勢を説明した後、ドイツ全8,000万人の人口のうち、8 – 9%が外国人(労働者)であり低年齢化がみられること、ドイツの再生エネルギーは1990年の水力発電 3- 4%から2012年には20%になったこと、以前30%を占めていた原子力発電が今は20%を切り、福島原発事故で一転して2022年までに全ての原発停止を決めたことなどを語った。同部長はさらに、日独関係に触れて両国の共通点、異質な点や地球温暖化政策など最近、両国が進めている政策の違い、3.11大震災で下火になった交流などにも言及していた。質疑の中で、同部長はドイツはフランスから原発電力の輸入を認めながらも、電力貿易では対仏輸出超過である、とも述べていた。

講演後、出席者の記念撮影、賑やかな懇親会で閉じた。