ボトルシップ研究会の趣旨・目的

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第一次世界大戦中中国青島では同地を租借地としていたドイツと、日英同盟を結んでいた日本が争うことになり、1914年、4700人ほどのドイツ人捕虜が日本各地に収容されました。習志野俘虜収容所にも約1000人の捕虜が収容されることになり、1919年の収容所閉鎖までそれだけのドイツ兵が習志野に滞在しました。中には当時蔓延したスペイン風邪のために亡くなって再び祖国の地を踏めないドイツ兵もいました。

この歴史的事実については習志野市教育委員会が2001年1月に特別資料展「ドイツ兵士の見たNARASHINO」を開催し、資料集『ドイツ兵士の見たNARASHINO』を発行され、同年12月に『ドイツ兵士の見たニッポン 習志野俘虜収容所1915-1920』(習志野市教育委員会・星昌幸・Dirk van der Laan共著)(丸善ブックス)を出版されました。しかし、その後調査は行われなくなったとのことです。

そこで千葉県日独協会では、さらに調査・研究を進めなくてはならないとの使命感から、2011年2月11日「ボトルシップ研究会」を発足させました。「ボトルシップ」とは当会理事である歌田實氏のご母堂が当時小学校の先生をされており、生徒たちをつれて収容所を訪れた際、捕虜の一人から送られたビンに入った帆船模型(ボトルシップ)に由来するもので、会のシンボルとするものです。収容所で過ごすことになったドイツ人がどうような人たちで、どのように過ごし、解放後どこへ行ったのか、また、同収容所所長であった西郷隆盛の嫡男西郷寅太郎大佐はどのような人物であったのか、等々を少しでも知ることになれればいいと思っています。

しかし、いざ研究会を始めて見ると、新しい事実、証言を得ることがいかにむずかしいことかを実感せざるを得ません。そこで、広く情報を得たいとここにホームページを開設することになりました。どうのように些細な情報であれ、ご一報いただければ幸いです。