2007年度以前の活動

2007(平成19)年度の活動

2008.1.26. 新春講演会

JR京葉線海浜幕張駅前にあるワールド・ビジネス・ガーデンのマリブイースト14階にある千葉県国際交流センター研修室で開催された。講師は、東京大学名誉教授で放射線医学研究所名誉研究員、平尾泰男先生。平尾先生は、当協会会長で同大学名誉教授、平尾浩三先生の実兄。講演のテーマは「重粒子線によるがん治療」。これまで治療困難と言われる癌の先端治療法で、講師の平尾先生は、この治療法の開発から今日に至るまでの苦労や治癒率の高い実績などを説明された。
平尾先生はこの中で「重粒子線の中で炭素線を最も適切なものとして選択したこと」そして「以来十数年にわたって炭素線による癌治療試験の臨床実績」をひたすら追求したことを強調。X線や抗がん剤の効かない癌や切除不可能な部位に発生した癌などの難治癌に対する高い局所制御率と低い副作用、超短期分割照射法の有効性・安全性を実証した、と説明された。
この治療法は2003年、厚生労働省から「固形癌に対する重粒子線治療」として先進医療の承認を得た。ドイツやEU諸国では、日本の実績をもとに炭素線照射治療施設を次々に建設している。いわば、炭素線照射治療を癌治療の有力な選択肢の一つとして確立したといえる。この治療法は身体の深いところの腫瘍に対して精密、鋭利、無痛、無菌、短期間の治療など日本が世界に誇る医療技術として一人でも多くの癌患者を救いたい、と力説された。

2007.11.18. 第13回ドイツ軍人慰霊祭開催

船橋市営習志野霊園にて。当協会恒例の、だがメイン行事である慰霊祭は当協会役員、会員多数が参列しドイツ大使館からヴォルガング・フリッシュフート空軍大佐とともにクラウス・シュミット一等参事官が初めて来場した。船橋市長代理、寺田一男環境衛生課長、習志野市長代理、早瀬登美男市教委社会教育課長の慰霊の辞、関係者全員の献花などが厳粛に行なわれた。恒例の直会は自衛隊第一空挺団習志野駐屯地幹部食堂をお借りして行なわれた。

2007.10.15. 講演会開催

講師はドイツ連邦議会議員、ミヒャエル・ロート氏で千葉・幕張にある(財)ちば国際コンベンションビューロー国際交流研修室で開催された。同議員は若手のドイツ社会民主党(SPD)のEU担当者で、「東アジアとEU」をテーマに調査・活動中で、来日は昨年に続き2度目。同議員本人の希望による講演で、テーマは「EUの政治・経済の現況」。EUの政治統合が極めて難しい局面にあること、その帰趨は近く開催予定のリスボン首脳会議にかかっているなどとの見解を述べられた。

2007.10.4 – 11.1. 「ドイツ哲学入門」講座(全5回)開催。

講師は当協会理事でお茶の水女子大学名誉教授尾田幸雄先生、会場は船橋市中央公民館。

2007.9.30. オクトーバーフェスト開催

東京千代田区内幸町1-5-3JR新橋駅近くの「J’s ベッカライ」において(財)日独協会との共催で開いた。ミュンヘンで有名な10月のビール祭りにちなんでの集い。飲み放題のビールにワイン、盛り沢山のソーセージ、アイスバインに40人の会員が大いに談笑し、時を忘れた。

2007.9.8. チター演奏会開催

JR津田沼駅近くのレストランで開催。日本チター協会会長、内藤敏子先生(当協会理事)の門下生ら11人を含む47人が参加した。内藤先生、門下生による演奏は「エーデルワイスの咲く頃」「雪山のレントラー」など多くの曲が続いたが、曲の合間に行なわれた解説や思い出が聴衆の耳を捉えて離さなかった。中でも、注目を引いたのが内藤先生のチターを手にしたきっかけ。それは次のようであった。
「第二次世界大戦の前、ヨーロッパ在住の日本人35人がスイスのホテルに集まり、身の振り方を相談していました。それを見ていた宿の母子が励ましのチター演奏会を開いてくれました。演奏会の途中、ある男性が『チターの演奏は電気を消して聴いてみませんか?』と提案。窓から差し込む星の明かりで演奏に耳を傾けたと言います。その一部始終を当時では珍しい16ミリカラーフィルムに収めていた日本人がおりました。そのフィルムは、現存しています。私(内藤先生)はその場に居合わせた一人から『どうぞ、日本でチターを広めてください』と頼まれ、以来使命感をもって今日活動しています。その方はただお一人、100歳を超えて今なおご存命です」。

2007.7.21. 自衛隊習志野第一空挺団見学

千葉県日独協会が最も力を入れている年間事業の「ドイツ軍人慰霊祭」で、大変お世話になっているのが自衛隊第一空挺団習志野部隊。同空挺団の施設、記念館を見学させてもらうことになり、佐藤広報員から空挺団の紹介、訓練風景を伝えるビデオを見せていただいた。その後、敷地内にある落下傘訓練用の塔(地上80メートル)の下にある展望台(同60メートル)へ案内された。人間が一人ようやく通れるような幅で、下がマル見え。上った会員は足を震えさせながら、騎兵隊や御馬などの訓練や大演習が行なわれた「習志野原野」を、今日の住宅密集地に重ねて眺めていた。この見学会に、当協会会員の篠原隆三氏も参加した。篠原氏は、「習志野」の語源となったとされる明治時代の篠原國幹・陸軍少将、近衛局長官の孫。明治天皇が視察した陸軍大演習で、國幹氏は一番大隊を指揮しその勇猛な指揮ぶりに「篠原を見習うように」と讃えたのが地名の始まりだといわれる。

2007.7.2. 「デュッセルドルフの夕べ」に参加

東京千代田区・ホテルニューオータニで、3年連続の開催。デュッセルドルフ市、NRW州並びにNRWインヴェスト共催で、ドイツ側からエルヴィン市長、メッセ・デュッセルドルフ社長が壇上に並んだ。これまでデュッセルドルフ市に駐在した日本企業関係者、デュッセルドルフ見本市出展者ら約1,000 人が招待され、当協会からも橋口昭八常任理事ら役員数人も参加した。デュッセルドルフのシンボル「アルトビール」で乾杯し、参加者は日独の交流、往時の思い出に耽った。また、デュッセルドルフ市からサッカーチームのU-17が来日し、7.1[1日~19日まで千葉県下の中、高校チームと親善試合を行なった。

2007.6.1 – 2. 「デュッセルドルフ日本デー」参加の旅

千葉県がデュッセルドルフ市のパートナーとなってから3回目になる日本デー。初日の経済シンポジュームで、千葉県の中沢政策担当部長が「日本と千葉県の産業立地」について講演。市民祭では、日本お家芸でドイツに伝えらた花火の打ち上げ大会。現地の新聞は「ラインの川面いっぱいに映る花火に百万を超える市民が酔いしれた」と伝えていた。
これに先立つ日本デーのオープングステージでは、エルヴィン市長、バーガス州経済省次官、三宅日本人クラブ会長、国方総領事、さらに来賓として参加の千葉県中沢部長による鏡割りで始まった。ライン河畔のプロムナードに並ぶテントはどこも地元や近隣からのドイツ人たちで大賑わい。千葉県ブース(テント)では、応援の当協会会員や地元日本人会員らが千葉県の物産のPRや甲冑を披露するなど日独交流の場が大きく広がっていた。

2007.5.18 – 20. ドイツ「独日協会連合会総会」に代表を派遣

ドイツ南西部、チェコ国境のパッサウで開催された。同連合会は全独で46の独日協会が加盟しており、毎年春に各地協会持ち回りで総会を開いているが、この年はドナウ川、イル川、イン川が合流する観光地パッサウ。(財)日独協会から副会長・木村敬三氏、当協会からは専務理事・金谷誠一郎氏が参加した。総会では、独日協会の将来、青年対策、翌年に予定される独日パートナー会議などをテーマに活発な論議が行なわれた。

2007.5.19. 年次総会と講演会を開催

船橋市「フローラ西船」で、会員29人の参加を得て開催。前年度の事業報告、同決算及び監査報告、新年度事業計画案、同予算案などを提案通り可決・承認した。今総会のトピックは、当協会とデュッセルドルフの独日協会の間で「学生交流」計画があることが平尾浩三会長、橋口昭八副会長から報告されたこと。この「日独学生交流プログラム」は①基本方針=デュッセルドルフから18 - 20歳の若者を迎え、単なる日本観光ではなく、日本の歴史、文化、社会の現状を研修してもらうこと、②プログラムの開始は20088月を目標とし、研修期間は10 日~2週間。研修地は千葉県とその周辺とする、③研修に関わる費用は、派遣側が研修生の往復航空運賃を、受入側が滞在期間中をそれぞれ負担する、となっている。
総会後、ドイツ連邦共和国大使館の文化部長、ハロルド・ゲーリック氏が「日独関係と日独協会の役割」と題して講演した。

2006(平成18)年度の活動

2007.2.11. 「高橋麻里子、トーマス・ガルシア、デュオコンサート」

東京・上野の上野邦楽堂で開催。ガルシア氏はドイツ国立ミュンヘン音楽大学のコンサート・ソリスト学位を最優秀で取得し、高橋さんはドイツ国家演奏家資格を最優秀で取得した演奏家。ドイツ大使館からシュミット参事官、トークラー書記官夫妻らも来場し、平尾浩三・会長夫妻ら当協会役員、会員と魅惑の演奏に聴き入った。

2007.1.28. 新春講演会開催

会場はJR西千葉駅近くの「ニュー中華白チョウ」。講師は、当協会理事でお茶の水女子大学名誉教授の尾田幸雄先生、演題は「日本とドイツの哲学交流」。先生は、日本の西洋哲学が明六社(明治六年設立)の人々の活躍とともにスタートした、と語った。西村茂樹、西周、中村正直、福沢諭吉、加藤弘之、森有礼などで、ドイツ哲学については東京大学哲学科の初代主任教授、井上哲次郎がドイツに留学し、その後弟子たちを次々にドイツへ送り込んだのが大きく影響していると指摘された。当時のドイツ哲学界では、カント哲学を再評価しようとする新カント派の全盛時代。この頃、日本では旧制高校、大学予科でドイツ語が必修だったこともあって「哲学はドイツ」だったという。尾田先生によると、学生たちは「分かっても分からなくても岩波文庫のカント『純粋理性批判』を持ち歩くのが流行した」という。
1975
年夏、ケルンの日本文化会館で開かれた「日独哲学者シンポジュウム」で、発起人の一人・OF・ボルノウ氏(テュービンゲン大学名誉教授)が基調講演で「日本の研究者たちはドイツの哲学については実によく研究している。これに対して、ドイツの研究者たちは日本の哲学について知っているものはほとんど皆無である」と言い、「これからは日独共通の課題について忌憚なく意見を交換できるように努めなければならない」と述べて、注目されたという。尾田先生はこれらの話しを通じて、日独交流は「一方通行」であってはならず、1945年以来60年にわたる敗戦国としての共通体験を経て、さまざまな分野での危機に直面している、と指摘、両国が共通課題について忌憚ない意見の交換ができるようにしたい、と説かれた。講演後段で、尾田先生は学校における「いじめ」「子供の虐待」「自殺」についても触れられて、聴衆の関心を集めていた。

2006.11.24 – 1215. 写真展「ドイツと千葉県」開催

東京・広尾のドイツ連邦共和国大使館で、同大使館の要請で行なわれた。千葉県内11団体とドイツとの歴史的関係、交流の実態などを写真と文で綴るもの。当協会の國枝誠昭副会長を実行委員長に、橋口昭八常任理事、坂本宗秋、小野浩両理事らを中心に準備を重ね、同大使館シュミット一等参事官、トークラー文化部担当らと協議の末、開催にこぎつけた。
展示会前日夕の祝賀会で、デア大使、(財)日独協会副会長、木村敬三氏、当協会会長、平尾浩三氏らが挨拶、この中でデア大使は「日本各地へ出かけて行き、民間外交を推進していきたい」と述べ注目された。続いて平尾会長の司会で、千葉県国際政策グループ長、濱本氏が「千葉県とデュッセルドルフ市との交流」、御宿町・五倫文庫の石田常務理事がドイツ・フランクフルト「ぼうぼう頭博物館」との交流をそれぞれ説明した。「あしたの国とシュタイナー学園」の活動などについては代表の子安美智子氏が話された。
12
17日の写真展閉会式では、大使館主催のクリスマス・パーティと合同で行なわれた。会場中央には6メートルにおよぶ豪華なクリスマス・ツリーが飾られて、雰囲気を一段と盛り上げる中、大使らが挨拶した。この中で、中沢千葉県政策調整担当部長からツリーの寄贈者デアルグリーン・ステージ代表の鵜之沢隆氏が紹介され、喝采を浴びた。このほか、橋本栃木県日独協会会長、井上茨城県日独協会会長、当協会関係者ら招待者60人、出展者30人など120人に加えて、大使館関係200人も加わって300人を超す大宴会となった。
この写真展では、千葉大学工学部、駒橋透氏の全面的な協力をいただいた。

2006.11.19. 第12回ドイツ軍人慰霊祭開催

「ドイツ国民哀悼の日」に合わせた恒例の慰霊祭は船橋市営習志野霊園で開催。ドイツ大使館の武官に新たに赴任したヴォルフガング・フリッシュフート空軍大佐が初参加した。同武官、平尾浩三当協会会長はじめ、船橋市長代理の寺田一男環境衛生課長、習志野市長代理の小林伸二生涯学習部長による慰霊の辞、橋口昭八当協会常任理事による御霊紹介などに続いて、出席者全員の献花、記念撮影で終えた。bいうエピソードを紹介したほか、当協会に新しく加入した佐倉在住の医師、丸山孝士氏の夫人るみいさんが1932(大正12)年ビート糖製造技師としてドイツから北海道に派遣されたフリードリッヒ・コッホ氏の孫であることも紹介され、和やかに終了した。

2006.10.14. 千葉県日独協会創立10周年記念祝賀会開催

会場はJR船橋駅前の船橋グランドホテル。平尾浩三当協会会長が挨拶と来賓の紹介を行なった後、ドイツ大使館のシュミット一等参事官が「今後3年間、日本各地の日独協会との連携を深め、両国の交流を活発することを計画している」と表明し、「中でも千葉県日独協会の協力を期待している」と述べた。さらに来賓の挨拶が続く中、(財)日独協会常務理事、河村繁一氏から記念品として同協会が編集した『Bruckenbauer(日独交流の架け橋を築いた人々)』が平尾会長に贈呈された。また、記念講演で元駐独大使、木村敬三氏が「ドイツ統一とその後」をテーマに話され13年にわたる東独ベルリン、西独ボンの生活を顧みながら「・・・東独国民の抑えられたぜいたく品や海外旅行への憧れなどが(ベルリンの)壁崩壊の大きな力になった・・・」と、話されたのが印象的だった。その後の祝賀会では会員による日本舞踊が披露されるなど談笑が絶えなかった。

2006.10.5 – 11.30. ドイツ文学読書会開催

会場は船橋中央公民館。計5回。講師は、当協会会長、平尾浩三東大名誉教授、テーマは「中世文化」。「中世ヨーロッパ」とは、何か。かって、“暗黒時代”といわれたヨーロッパ中世、また“メルヘンの光”の中で人びとの憧憬の彼方に美しく浮かび上がったヨーロッパ中世、明暗さまざまな色調でみられてきた中世と、先生は指摘したうえで、いずれにせよ「ヨーロッパ世界」というものに基盤を置いた時代が『中世』だったという考え方は今日ほぼ定着している、と言えましょう、と述べた。そのうえで、先生は「私たち日本人がヨーロッパを考えるとき、ヨーロッパを旅する時、たえずその「中世」に思いを誘われる理由もそこにあるのではないでしょうか」と語った。
以下、平尾先生が当協会機関紙「die Eiche」(20078月号)に寄せた「ドイツ文学読書会を終えて」から抜粋;「21世紀、いつ果てるとも知れぬ宗教・民族・国家間の対立、血みどろの戦い、貧困、格差、汚染、無気力、心の荒廃…息苦しさと孤独をいよいよ深めつつあるこの21世紀に生きて、私たちは絶望に慄きつつ、それでもより良き未来を模索しています。そして、欧米からの影響なき生活形態を思い描くことが私たちに困難とは申せ、近代以降の欧米世界が人類進歩の最高のものという考え方の正当性を、私たちはかってなきほどに深く疑わざるを得ません。その時にあって、私たちは長いヨーロッパ史の原点にまで視線を投げ返し、ヨーロッパ史の意味をもう一度根本から考え直そうとするのでしょう。」
「テキストは13世紀の詩人 Konrad v.W. 作「Heinrich von Kempten」でしたが、この催しが同時に、ドイツ語運用力養成のプラスにもなることを願い、教室ではそれの現代ドイツ語訳を用いました(日本語題名「裸の騎士」同学社)。現代ドイツ語の参考文例が多数挙げられているので、多角的なドイツ語練習にも役立ったかと存じます。」

2006.7.22. チター演奏会開催

西千葉駅近くの中国料理店で、日本チター協会会長、内藤敏子先生(当協会理事)恒例の演奏会を開催。「アルペンローズの花の咲く頃」「我が夢の町ウィーン」など7曲が奏でられ、28人の聴衆を魅了した。

2006.6.23. 対談「『バルトの楽園』よもやま話」開催

東京青山にあるドイツ東洋文化研究協会(OAG)ホールで、東映映画「バルトの楽園」の出目昌伸監督と、平尾浩三当協会会長の対談が行なわれた。当協会、(財)日独協会、OAG の三者共催。異例の共催で関係者の注目を集めたが、ドイツ大使館からシュミット一等参事官が出席し、当協会30人をはじめ、日独協会66人、OAG 関係者23人のほか招待者の計134人が参加した。この映画は、前年からこの年3月末まで行なわれた「日本おけるドイツ年」の“公式映画”として認められたもので、対談当日は、坂東俘虜収容所(徳島県)で当時演奏されていたというチターの曲を内藤敏子日本チター協会会長(当協会理事)が演奏した。この後、OAG のマイケ・ロエダさんがドイツ語で紹介して、映画の予告篇上映、監督と会長の対談が行なわれた。対談後、ホワイエで立食パーティを開き、大いに飲食を楽しみ過ごした。

2006.6.10. 年次総会

会場は船橋市・西船フローラ。前年度事業、同決算各報告・監査報告、さらに新年度事業計画、同予算案をそれぞれ担当役員が行ない、了承された。役員改選も行なった。
この総会で、前年行なわれた「日本におけるドイツ2005/6」の中で、当協会が実施した「ドイツに親しむ3日間」に関して橋口昭八常任理事から詳しい報告があった。
橋口常任理事の報告は「東ドイツ - 今は昔」と題して、統一前の東ドイツ市民について「-旅行・車・カラーテレビー」が3大夢だった、と語り、統一によって「(茶の間に)カラーテレビを、の夢は瞬時に叶えられたが」、車への需要と供給はなかなか整わず、1981年ホネッカー書記長の訪日のお土産である日本車の大量注文にもかかわらず、中古市場でも価格がはねあがってしまったという。また、同常任理事は、ベルリンの統一後の新名所に触れた一方で、ライプチッヒ、ドレスデン、シュヴェリーン、ウェルゲローデ、ワイマール等の歴史・文化的に重要な地方都市も再生しているなどと語り、「(ベルリンの)壁の思い出」を披露していた。

2006.5.19. – 26. ドイツ視察旅行実施

デュッセルドルフ日本デー開催に合わせた当協会の視察旅行で、堂本千葉県知事ら県幹部、当協会・平尾浩三会長、会員たち21人はエルヴィン市長主催の歓迎会に招かれ、日独交流に一役かった。この年は、当協会設立10周年にも当たる。市長歓迎会に先立ち、デュッセルドルフ在住40年近くになる三丁目俊三氏の興味深い日独交流史に耳を傾けた。
日本デー参加の後、ハイデルベルクからロマンチック街道へ。ヴュルツブルク、ローテンブルク、フュッセン、さらにはミュンヘンへ。16世紀の彫刻家リーメンシュナイダー、ルートヴィッヒ2世が建設したノイシュバンシュタイン城、ホーフブロイハウス、ドイツ南部の遅い春を満喫する旅を終えた。

2005(平成17)年度の活動

2005.2.4. 新春講演会開催

千葉大学けやき会館・レストラン「コルザ」で開催。講師は明海大学客員教授、石河正夫氏で、テーマは「国際政治の本質と外交のウラ・オモテ」。石河教授は元外交官で、当協会会員。講演で同教授は、国際政治の舞台では大国が強大な軍事力を背景に思いのままに行動している現状を、自らの経験を踏まえて生々しく語り、日々の報道では理解できない外交の裏側を話していた。
また、「日本とドイツは第二次大戦の惨禍を経験し、ともに政治小国、経済大国と師弟の役割を果たしてきたことは共通している。しかし、冷戦が終結し、平和の配当を享受しているのはドイツである」と指摘し、日本は戦後処理も未解決であるうえ、東アジアでは厳しい冷戦構造が継続されており、とりわけ日本周辺(朝鮮半島・尖閣諸島)での軍事的紛争のリスクも高まっていることに警鐘を鳴らした。
そのうえ、同教授は「第二次大戦から日独両国が学んだことは対照的であった」とし、「日本は島国のため多面的な外交を必要とせず、軍事力をタブーとしてきたのに対し、ドイツは近隣諸国とともに外交を展開して軍事力の持つ抑止力を学び、今やEU の大国として安定している」と述べた。「長期的な対米依存が日本人の防衛と独立の意識を次第に蝕んできた結果、米国の核の傘に庇護されているのを忘れたかのように日米を損なう発言をする評論家もおり、多くの日本人をして国際政治の本質を見失わせている、と断じた。同教授はかって外務省で、沖縄返還交渉問題、G7サミットなどを担当した経験を踏まえて、今日までのアジア情勢を具体的に取り上げながら「長期的には海洋国家たる米国との同盟強化が肝要である」と結んだ。
講演終了後の懇親会で、当協会名誉顧問、臼井・元防衛庁長官は「1996年3月、台湾海峡で中国が大演習を実施、台湾に圧力を掛けた際、アメリカはインデペンデンスとミニッツ二隻の空母を派遣して威嚇し、これら空母が原子力潜水艦デストロイヤーを伴っていたため、緊張が高まり日本としての対応に追われた」と、日本を取りまく厳しい現実の一端を語り、会場に集まった会員らの理解を深めていた。

2005.11.20. 第11回ドイツ軍人慰霊祭開催

船橋市営習志野霊園で、当協会会員45人、ドイツ大使館からヘルムート・ゲーペル陸軍大佐が参加して開催した。追悼・慰霊の辞はゲーペル大佐、平尾当協会会長、さらに船橋市長代理(寺尾一男環境衛生課長)、荒木勇習志野市長が述べた。
この慰霊祭に、シナノ企画の野口正敏氏が特別に参加し、2006年6月に封切りとなる東映映画「バルトの楽園」について説明し、エキストラ出演のジャーナリストのクリストフ・ヘンドリック氏が紹介されるなど厳粛な中にも、和やかに兵士たちの御霊を慰霊した。

2005.10.20. 「ドイツに親しむ3日間」開催

千葉大学けやき会館前で、1年半余の準備を経て開催した。当協会主催の「親しむ3日間」は「日本におけるドイツ2005/2006」の協賛行事でもあり、ドイツ大使館からフィシャー公使、中沢千葉県理事、木村日独協会副会長、新倉千葉大学国際教育開発センター副センター長、平尾当協会長によるテープカットで開幕した。
このイベントは、来場者にまず写真と資料で千葉県各地とドイツとの交流を紹介して、ドイツを身近に感じてもらうこと、さらに、講演や音楽、映画、観光案内を通じてドイツに一層親しみを覚えていただきたいという願いを込めて実施された。
初日の講演は、当協会の平尾浩三会長が「ロマンチック街道はじまるところ」と題して口火を切った。この講演は、ドイツ紹介の導入部にふさわしく「まさにドイツを旅しているような感じ」(財団法人・日独協会・石川嘉一氏)と、好評だった。
NRW
ジャパン・ベッカー社長の「最近のドイツ事情」はドイツの現状と問題点を指摘し、イベント3日目の子安美智子氏の講演「あしたの国のまちづくりとシュタイナー学校」は、同校を卒業したマイケさんとともにシュタイナー学校の教育法を詳しく紹介した。また、この日ドイツ側からの強い要請で、ドイツ環境省ザッハ博士の講演も“飛び入り”し、来場者の関心を集めた。

音楽イベントでは、初日が当協会会員、高橋麻里子さんのすばらしいピアノ演奏で幕を開けた。高橋さんはフライブルク国立音楽大学大学院のSolisten 課程を首席で終了したピアニストで、高橋さんにはベッカー社長から花束、ドイツ年のマスコット・DIE  MAUS が贈呈された。
3
日目は、日本チター協会会長、内藤敏子さん(当協会会員)が門下生10 人とともに美しい音色を披露した。一緒に出演の千葉大卒の熱田健氏は、新倉恵さんのアコーディオン伴奏でヨーデルを熱唱し、会場を沸かせた。

映画では、「橋」「グッバイ・レーニン」が2回ずつ上映された。「グッバイ・レーニン」はイベント2日目の千葉大学主催日独学生シンポジュウム「壁」とともに、ドイツ統一後の「壁」についての問題を提起していた。

一連の「ドイツに親しむ3日間」のイベントは、来場者1,000人余、ボランティアは船橋市加藤歯科の加藤和子さん(当協会会員)、元御宿町長・伊藤治昌氏(同理事)、船橋市民大学有志ら120 にのぼった。(財)日独協会の花井常務理事、ぐんま日独協会の平形会長が来場し、とちぎ日独協会から祝電が届くなど友好団体との交流も活発に行なわれた。

「ドイツに親しむ3日間」開催にあたって尽力した当協会会長、理事たちがイベント終了後の一文を機関紙 die Eiche に寄せた。
『宴のあと』 平尾浩三・当協会会長(機関紙die Eiche 2005.12.28.
「ドイツ政府による『日本におけるドイツ年』に協賛する事業として千葉県日独協会のなすべ  きことは何か、で議論をはじめ、…私たちの背丈相応の、当協会ならではの[イベント]…地味ではあっても千葉県の大地に根ざし、将来に向かってしっとりとした潤いを、ずっしりとした稔りをもたらすような催しができないか? 私たちの講演会、日独討論会、演奏会、ドイツ映画上映会、資料展「ドイツと千葉県」は、そのような考え方に発するものであった。・・・(この3日間は)好評で、来訪者も多く、十分な成功を収めたと言えよう。私自身、この行事を通じて千葉県の方々とドイツとの間に如何なる関係が結ばれているのかを知ったし、会員の皆さまといっそう気心を通じることができた。時あたかも、千葉県日独協会は創立10年を迎える。わが協会に具わる地力に自信を抱き、来るべき時代に即応して、私たちは新たなる活動に踏み出さねばならぬ。『宴のあと』の感慨にふけるとき、わたしたちは『宴のまえ』に位置するのである。・・・・・物心両面の援助をくださったドイツ大使館、共催者の千葉大学、後援の千葉県、(財)日独協会、ご協力くださった諸団体に心から御礼を申し上げます」

『広報活動余話』 國枝誠昭・当協会副会長(機関誌die Eiche 2006.1.10).
「この企画当初からの難題の一つが“広報”であった。結局、チラシを配って歩く、つまり足でPRしようという作戦である。・・・チラシ作製で印刷会社と接触、調査したが、われわれの予算レベルに及ばず・・・ある社に何とか協力してもらえるように・・・朗報も入り、今年から千葉県とデュッセルドルフ市が友好交流を行なうことになり、95日に国際交流の特集が組まれ、その中で「ドイツに親しむ3日間」を紹介してくれる、と。(先の)チラシは、千葉大院生、駒橋透氏の協力で独創的なデザインが完成し、(イベントへの)問い合わせも増えるか、とプリペイド式携帯電話を購入して対応した・・・」

『ステージオペレーションに就いて』 坂本宗秋・当協会理事・チーフ(同 Die Eiche 2006.3.31.)「今回のイベントに際して、舞台裏で活躍したステージオペレーションについて、総括してみる(敬称略)Ⅰ舞台進行係:古川修司、布施由未子、小野浩、舘野鷹二郎、坂本宗秋他、千葉大学生 Ⅱ・担当分野:①上映ドイツ映画の選定、及び映写 ②けやき会館内での式典、講演会、音楽会開催時の舞台設定、照明、音響、パワーポイントによる案内 Ⅲ・映画は(株)IVC 社、(株)ギャガ・コミュニケーションの協賛を得て、「橋」「グッバイ・レーニン」の2本をDVD で上映した。東京ドイツ文化センター (OAG) 、村田崇夫氏の指導で作成した進行表、パワーポイントによる行事案内、舞台や会場の照明・音響などを効果的に行なうことができた。舞台の机、椅子、マイクなどの配置はプログラムごとにキメ細かく行なったが、会場・けやきホールの防音が不完全なためピアノ演奏の時にも外の音が入り込むなど遺憾な面もあったが、担当者全員が一致協力して成功裏に乗り切ることができた。

「『ドイツに親しむ3日間』を終えて」 司会進行・バザー担当 布施由未子(当協会会員、同die Eiche 2006.3.31.         

「私にとっての『ドイツ年』は六本木ヒルズにベルリン・ブランデンブルク門隣の広場にいた熊たちがやってきた時から始まった。(このイベントでは)見る側から企画する側に変わり、(これまでとは)違ったドイツを発見し、新たなドイツ好きの人たちに出会えた。蚤の市に出品してくださった方々、とくにトール・ペインティングを描いてくださった西川さん、道野さんの情熱、佐倉のマザー・ムーンさんの子供達に送るドイツ玩具のメッセージなど心温まる気がします。今回バザーに出品していただいた方は伊東惇子、加藤和子、木戸芳子、国枝誠昭、熊埜御堂真、島内毅、宗宮好和、内藤敏子、西川珠子、橋口昭八、橋口成、平尾浩三、古川修司、道野真知子、向井舜治、綿貫尚、布施由未子(五十音順、敬称略)でした」

2005.9.17. 「ビール祭り」開催

会場は千葉大学けやき会館内レストラン「コルザ」。当協会と千葉大学が共催して実施するドイツ年協賛行事「ドイツに親しむ3日間」の会場となるけやき会館で平尾浩三会長、橋口昭八実行委員長(常任理事)の挨拶、「3日間」の日程などの説明があった。新入会員の紹介に続いて土生英彦さんのアコーディオン、堀江弘隆さんのリードでドイツ民謡を合唱して大いに楽しんだ。

2005.7.2. 講演会「短歌にみる911

西千葉駅前の「サン」で開催。講師は、平尾浩三当協会会長で、会員35人が参加した。 米ニューヨークの911テロやアフガン戦争に関する短歌が新聞に多く寄せられていると会長が説明し、このうち印象に残った50首を解説された。会長は、日本人が短歌に深く親しんでいることは外国の識者に知られているとしながらも「それはえてして日本人にある人間と自然、風景との一体感覚の面からみられ、花鳥諷詠の優雅さのみが強調され易い」「しかし、今日の私たちと短歌との関係はそのように単純に片付けられるものではない」と指摘した。
そのうえで、平尾会長は「殺伐として不安に満ちた現代社会に生きる私たち日本人が現実世界の諸事件に対してなんらかの反応を示し、反応を言葉によって記録したい、それをできるだけ的確・明解に表現したい、と懸命に努力する姿ー短歌はこの面からも注目されるべきであろう」と結んだ。新聞に掲載の短歌から紹介・吟味された短歌ー・
・ゆっくりと巨大なビルの崩れゆく画像が地球の言葉を奪う(寺田允美)
・焼け跡に半旗をかかげ夜も昼も埋もれし希望を人は掘りゆく(西岡徳江)
・艦の行く青き比島の海になお柩の棄兵眠れず(河上政治)
講演会後の懇親会では、会員や関係団体かんぶからの寄贈によるワインや料理に舌鼓をうって談笑した。

2005.6.14. 講習会「マール・ワークショップ」

JR京葉線・幕張海岸駅前の国際コンベンション・ビューロー・千葉国際センター(WBGマリブイースト)で開催。2005年が「日本におけるドイツ年」であること、6月に千葉県とデュッセルドルフ市の交流が始めることを記念したイベント。デュッセルドルフ在住で日本人駐在員の夫人たちにも馴染みの深いマール・ワークショプ(トール・ペインティング)のC・ハーゼンベック先生を講師に迎えた。会員ら20人が参加する中、ドイツ語のバウエルン・マーレライ(農民絵付け)の正しい意味と趣味的装飾工芸になっている現状についての説明があり、下絵、筆使いなど基本指導、続いて教材に時間を忘れて挑戦していた。

2005.5.14. 年次総会と講演会を開催

会場は船橋市・西船フローラ。会員ら33人が参加した。冒頭、この1月に死去した当協会の常木實顧問へ黙とうした。この後、恒例の前年度事業、決算報告、監査報告、さらに新年度事業、同予算案などがそれぞれ可決、承認された。2005年は「日本におけるドイツ年」と、当協会創立10周年の記念の事業に特別予算が計上されたことが橋口常任理事から発表された。総会終了後、NRWジャパン(株)のストリッド・ベッカー社長による「現在のドイツ事情」講演が流暢な日本語で行なわれ、引き続き懇親会で交流を深めた。

2005.3.15.  平尾浩三会長、ドイツ連邦共和国から勲章を受章

東京・ドイツ連邦共和国大使公邸でシュミーゲロウ大使が平尾会長の功労を詳細に説明し、ケーラー大統領署名の伝達書と、ドイツ連邦共和国功労十字章が授与された。これに対して、会長から受章挨拶があり、岩﨑英二郎慶大名誉教授の祝辞と乾杯の発声で歓談に入った。授賞式には、ティーデマン文化部長、ゲーベル武官、ビュルシェル女史のほか、大学、学会、日独協会関係者、関係家族ら30人が出席し、会長の受章を祝った。

2004(平成16)年度の活動

2005.3.15. 平尾浩三・当協会会長、ドイツ連邦共和国から勲章を受章

東京・同大使館公邸でシュミーゲロウ大使が平尾会長の功労を詳細に説明し、ケーラー大統領署名の伝達書と、ドイツ連邦共和国功労十字章が授与された。これに対して、会長から受章挨拶があり、慶応大学名誉教授の石﨑英二郎氏の祝辞と乾杯の発声で歓談に入った。授賞式には、ティーデマン文化部長、ゲーベル武官、ビュルシェル女史のほか、大学、学会、日独協会関係者、関係家族ら30人が出席し、会長の受章を祝った。

2005.1.29. 新春講演会開催

西千葉駅前の喫茶店「サン」で会員26人が参加して行われた。講師は杏林大学客員教授、田久保忠衛氏(当協会副会長)。同教授は「2005年の国際情勢」をテーマに、米ソ二極支配終了後の米国一極支配、アメリカ研究が国際情勢分析に欠かせないと話された。以下、――「ブッシュ政権で外交をリードしているライス女史は、ブレーキ役のパウエル国務長官と並んでアクセル役を務めている。・・・ブッシュ(大統領)がライス女史ら側近たちとホワイトハウスで会食しながら何でも決定できる『キッチン・キャビネット』ができているのが特徴である。・・・この2月にはライス、ブッシュ訪欧が予定されており、イラク攻撃で生じた仏独どの争いを修復と、同盟国重視が狙いである。米欧関係悪化の原因は2つ。1つは世界秩序の構造的変化。ソ連崩壊でワルシャワ条約機構軍と対峙していたドイツの戦略的重要性が薄れ、ラムズフェルトが『独仏は旧い欧州』と発言。シュレーダー(独)首相を怒らせたこと。もう一つは、2001.9.11.3,000人の死者を出した同時テロをめぐる米欧の差である」
同教授はマスコミのブッシュ批判やブッシュの戦争対処法、さらに“不安定の弧”といわれているアフリカ、中東、南アジア、さらに北朝鮮をめぐる韓国政府の政策に言及しながら、日本の対応策を考えていかなければならない、と語った。
同教授は最後に、米国のイラク攻撃反対で同一歩調を取ってきた独仏関係に触れ、シラク大統領の再選が絶望的であるのに対してシュレーダー首相は再選の芽が出てきたので、近い将来にはドイツが欧州の指導的国家になる可能性がある、と指摘していた。

2004.11.21. 第10回ドイツ軍人慰霊祭開催

船橋市・市営習志野霊園で、当協会会員ら60人が出席して開かれた。ドイツ連邦共和国国歌が流れる中、全員が黙とう。第一次世界大戦で日本軍の捕虜となり、習志野俘虜収容所でスペイン風邪などで死去したドイツ兵士30人に対する追悼・慰霊の辞は、ヘルムート・ゲーベル大使館国防武官が最初に述べた。次いで、平尾浩三当協会会長、山田明船橋市長代理、荒木勇習志野市長が追悼の辞を捧げた。参加者がドイツの軍人葬送歌「よき仲間」を合唱し、全員が一人ひとり慰霊碑に献花し、軍人の冥福を祈った。
この後、自衛隊第一空挺団習志野駐屯地幹部食堂で、直会を開き、関係者がドイツの歌を歌ったり和やかに交流した。

2004.12.5. 初の「クリスマス会」開催

当協会初の試みである「クリスマス会」(第Ⅰ部忘年会、第Ⅱ部クリスマス会)がJR西千葉駅前の喫茶店「サン」で、会員32人参加のもと開かれた。平尾浩三会長の挨拶、橋口昭八常任理事の「日本におけるドイツ年」の行事予定の説明などがあり、テーブルに山盛りのボージョレヌーボー、ドイツワイン、(日本の)原酒に加えてソーセージ、焼き鳥などに興じた後、続いてクリスマス会では今村美也子理事のピアノ伴奏で数々のドイツリートを大合唱し、さらに会員が持ち寄った“福引き”に沸いた。

2004.10.21 – 11.18.(計5回) 公開講座「みんなでドイツ語を読みましょう」開催

会場はJR柏駅からバスの日本橋学館大学。講師は平尾浩三・当協会会長(東大名誉教授)。

2004.10.2. 講演会とビール祭り開催

JR西千葉駅前の喫茶店「サン」で、会員ら28人が参加して開かれた。ビール祭りに先立つ講演会では、当協会理事、歌田實氏が「59年を経て特攻を思う」のテーマで話された。歌田理事は太平洋戦争で明野陸軍飛行学校を卒業し、各種戦闘訓練を経て戦争末期には特別攻撃隊に配属された。7ヶ月に及び「死と隣り合わせの日々」「香港上空飛行中に7発の弾丸を被弾しながら無事帰還したが、父がくれた成田山のお守りが割れていたのがわかった。毎年のお参りは欠かさない」「特攻出撃前に書いた手紙(遺言)を父が大切に保管してくれた」などと話し、会員は静かに聞き入っていた。
講演から2時間後に「ビール祭り」へ移り、本場ミュンヘンのオクトーバー・フェストのポスターを背景に、アコーディオンの伴奏で大いに飲み、食べ、唄いに酔いしれた。

2004.7.10. チター演奏会開催

船橋市・西船フローラで、日本チター協会会長、当協会理事、内藤敏子先生恒例の演奏会が開かれた。会員、内藤先生の門下生ら40人は「王妃エリザベート」「エーデルワイス」など9曲の演奏とトークに聞き入った。中でも、内藤先生の師、ジェニー・コーザさんが自分の葬儀に内藤先生にチター演奏を依頼し、トンボ帰りで帰国した直後に師の手紙が届いたエピソードを紹介、会場は静まり返った。師はこの手紙に「私はこの地球で幸せな生活をしました。これからは別の星で・・・。ありがとうございました」とあり、生前に知人へ託したものだった、という。演奏会終了後の懇親会でも、当協会会長ら幹部も駆けつけてさらに盛り上がる交流・談笑が続いた。

2004.6.12. 年次総会と講演会

「ヒルトン東京ベイ」地下の中華レストラン「王朝」で開催し、会員、委任状を含めた78人が参加した。前年度の事業報告、同決算報告・会計監査報告に続いて、新年度事業案、同予算案、役員改選などがいずれも可決、承認された。
続いての記念講演は、ドイツ大使館二等書記官、ピュルシェル女史による「日本におけるドイツ年2005/2006」をテーマに40分間、ドイツ本国から来日するさまざまな団体の公演や展示会、また日本各地で催されるイベントへの期待と抱負を熱心に語った。懇親会でも、出席者が「王朝」の高級中国料理、差し入れのワインを楽しんだ。

2004.4.25. 「ワインを楽しむ会」開催

メルシャンの岩田勉氏に講師を依頼して前年度に続き再度の「楽しむ会」を開いた。岩田氏は、軽妙な語り口でワインの楽しみ方を説明されるのが恒で、会場の関心を集めた≪ワイン一口メモ≫は、次の通り。
▽アルコールの中で、アルカリ性はワインだけである
▽赤ワインは、飲む1時間前に栓を抜き、酸化させるとうまくなる。白ワインは栓を開けて15  分後が美味しくなる
▽千円前後のワインは早めに飲むこと(保存しても高価なものにはならない)
▽ワインは1日に1/3 程度が身体に良い。残ったワインはミネラルウォーターのペットボトルに入れ、空気の部分がなくなるくらいにペットボトルを押しつぶして冷蔵庫に保存するとよい。
▽世界的に美味いワインができた年は、1990,1995,2000年。
▽高いワインは、1本のブドウの木からとったブドウで1本のワインをつくったもの。また、1ヘクタールには平均して3,000本のブドウの木が植えられており、その畑から何本のワインをつくったか、で品質の推定が可能。

2003(平成15)年度の活動

2004.1.25. 新春講演会開催

西千葉駅前喫茶店「サン」で、時事通信社外信部デスク、佐藤伸行氏を講師に「2004年の国際情勢展望」を話してもらった。当協会副会長で杏林大学客員教授の田久保忠衛氏の予定であったが都合により同氏の後輩である佐藤伸行氏が登壇した。ドイツから千葉大学に留学中のAnjte Wegliehさん、Julia Cansteinさんを含めた29人が佐藤氏の“イラクを巡る独仏と米の対立”から始まった講演に聞き入った。同氏は「(この対立の原因として)仏のイラクにおける石油の利権だと伝えられているが、米欧間の世界観の違いがあるのではないか」と指摘し、1998年のNATO軍とユーゴスラビア軍の交戦が大きな契機になった、とした。佐藤氏は当時、ユーゴに3ヶ月滞在した空爆の経験から米軍と独仏空軍との戦力差は米大リーグとアマチュアリーグとの差くらいだった、と言い、「以降、米国は独仏を頼りとせず、2001.9.11の米国同時テロからアフガニスタン攻撃へ。欧州は取り残された』と語った。
こうした独仏と米国の亀裂について、佐藤氏はドイツ外交官の見方を引用しながら「9.11と、11.9(ベルリンの壁崩壊)の違いがある」とし、独仏にとっては11.9.から始まった欧州統合が最優先事項であることを指摘した。EU の対日観について同氏は、先のドイツ外交官の発言にふれながら、ドイツ東西統一後に日本は東独に大きな投資をせずにドイツを失望させたとし、中国が大きな存在を占めていることを明らかにした。

2003.11.30. 「第9回ドイツ軍人慰霊祭」開催

船橋市・市営習志野霊園で開かれた。1995年に始まった慰霊祭は、例年より1週間遅れの開催となった。ドイツ大使館から、ヴェルナー武官の後任に就任したヘルムート・ゲーペル武官(陸軍大佐)、平尾会長、船橋市長代理として山田明環境課長らが次々にドイツ兵士への追悼・慰霊の辞を述べた。このドイツ軍兵士たちの墓をご尊父以来守ってきた石崎満氏(当協会理事)が合祀されている30人の兵士の名前を読み上げ、参加者全員による献花、その後直会などで終えた。

2003.11.3. 在日ドイツ留学生と川越(小江戸)へ遠足

(財)日独協会が主催して、ドイツからの留学生36人と当協会関係者7人を含む計111人が参加した。西武新宿線本川越駅から、江戸の風情を残す町並みを歩き、「時の鐘」「菓子屋横丁」を見学した。創業が明治元年の「初音屋」の大広間では、参加者全員が“大和飛燕太鼓”の演奏を鑑賞。次いで、オッペンバッハ市と20年来の姉妹都市になっている川越市の船橋功一市長歓迎の中、名物「せいろ膳」を賞味し、午後からは喜多院などを観光した。

2003.1.26. 特別講演会「愛の喜び・愛の哀しみー中世ドイツ文化入門」開催

日本橋学館大学で開催。

2003.7.5. チター演奏会開催

会場は船橋市「フローラ西船」。日本チター協会会長、内藤敏子先生(当協会理事)恒例の演奏会で、会員ら35人が出席した。この中で、内藤先生はチターは最初、弦が少なかった(現在46本)、「わが町ウィーン」を作曲したジェンスキーはこの曲の大ヒットで満足して他に作曲しなかった、などの“語り”を交えながら、「心への道」など9曲を演奏した。

2003.5.31 – 6.1. 鳴門日独協会との交流会参加

 (財)日独協会協賛による交流会で、当協会会員13人が参加した。当協会の加藤和子・理事が機関誌 die Eiche にこの交流に参加して、の一文を寄せた。これによると、台風襲来の中、夜行バスで鳴門へ出席。第一次世界大戦後に日本側の俘虜になった1,000人が鳴門の坂東俘虜収容所に収容されていたが、住民たちはお遍路に対する、お接待の心で彼らと交流したという。当時の収容所所長、松江豊寿大佐は会津藩士の息子で俘虜たちについて「兵士は愛国者であって犯罪者ではない」と、鳴門の住民たちに交流を勧めた。このため、兵士たちはさまざまな技術指導をしたり、スポーツ、音楽指導も行ない、わが国では初めてとなるベートーベンの交響曲第九番全曲がこの地で演奏されることになった。後に同収容所を視察した米国のサムナー・ウェルゥズ国務次官は「歴史上、これほど人道的な扱いをした俘虜収容所はない」と激賞したという。
交流会参加者一行は、翌日も精力的に大塚国際美術館などを視察した。なお、坂東俘虜収容所にはドイツ・リューネブルク出身者が多かったため、徳島市は1970年代にニューネブルクと姉妹都市となり、鳴門日独協会友好協会が発足したのだという。

2003.5.22. 講演「古城の騎士たち・貴婦人たち」

(財)日独協会が主催して上智大学・ソフィアンズクラブで開かれた講演会で、当協会会長、平尾浩三東大名誉教授が話した。平尾会長は「『愛、それは12世紀の発明』という見方がある。これを念頭に置きながら、西暦1100年ころドイツ諸宮廷に花開いたミンネザング(Minnesang・恋歌)を鑑賞しよう・・・」と呼びかけた。
平尾会長は 「ミンネザングのテーマとなるのは、公認されえない愛、秘すべき恋であった。およそ満たされぬ愛の苦しみこそが若者の心を深め育てるものになること、昔も今も変わるまい。・・・今から800年もの昔に男女の愛のあり方について、人はかくも繊細微妙な思いをさまざまに巡らせていたのである」と語りかけていた。

2003.5.17. 年次総会と講演会開催

会場は船橋市・「フローラ西船」。当協会会員ら30人が出席した。恒例の前年度事業報告、同決算報告、監査報告、さらに新年度の事業、同予算案の説明が順次あり、いずれも問題なく可決・承認された。続いて、2002年にデュッセルドルフ市から帰国し当協会に入会した元デュッセルドルフ日本クラブ事務総長、橋口昭八氏を理事に選任したいとの提案があり、了承された。
記念講演;総会後、芥川賞作家でドイツ文学者の柴田翔氏が「ゲーテ『ファウスト第一部』のヒロイン マルガレーテの二つの歌など ー」をテーマに記念講演をした。柴田氏は「ゲーテの生きた時代」を、宮廷社会が1789年の仏革命により市民が支配する社会への「社会秩序の移行期」と説明し、ワイマールで大臣を務めながらも「宮廷人」として過ごした、と述べた。また、この時代は、「小説家」が職業として公認され始めたころ(『若きヴェルテルの悩み』)だった、とも語った。柴田氏によると、「ファウスト」は、ゲーテが24歳であった1773年から書き始め、仏革命による大動乱で中断し、1831年に完成した。ファウストは16世紀に“いかさま師”として実在した人物である、と柴田氏は指摘したうえで「ゲーテは彼を自己の可能性を徹底的に追求するものとして捉えている」と、『ファウスト』を前半、後半にわけて詳細な説明を加えた。講演後の懇親会で、会員の吉田千賀子さんから「先生のお話しで、ファウストのグレートヒェンはマルガレーテの愛称であることがよく分かるなど大変、有意義でした」と、好評だった。

2002(平成14)年度の活動

2003.2.22. 「ワインを楽しむ会」開催

JR総武線西千葉駅南口前プラザホテル1階の喫茶店「サン」でメルシャンワイン(株)の岩田勉氏を講師に行なわれた。岩田氏は1969年、東京農大で応用食品発酵学を学んで卒業後、スペイン・マルガ大学で卒業するまで夏休みにスイスでアルバイトをしながらソムリエ修業したり、スペインの食文化も学んだ。1977年からカルフォニアでバーボンウィスキー、メキシコ・サウス社でテキーラをそれぞれ研究した。1980年からは仏ボルドーのシャトー・ムートン、ブルゴーニュのプシャール社でフランス・ワインをじっくり研究してきた、文字通りの専門家である。
岩田氏はこの日、醸造酒から蒸留酒などの種類、ワインの歴史、購入ワインの保存(湿度75%、気温15℃程度)、飲み方、コルクの抜き方等など長年の蘊蓄を傾けた話しに25人の会員は聞き入っていた。

2002.11.24. 第8回ドイツ軍人追悼慰霊祭開催

船橋市・市営習志野霊園で、会員及び関係者43人が出席して行なわれた。慰霊祭開会にあたり、全員が兵士の御霊に黙とうし、ドイツ大使館からライムント・ヴァルナー大佐が来場し、平尾浩三当協会会長、船橋市長代理(山田明環境衛生課長)による追悼慰霊の言葉がそれぞれ捧げられた。習志野俘虜収容所でスペイン風邪などにより死去した兵士30人の名前の紹介、ドイツ軍人葬送歌「よき仲間(Der gute Kamerad)」を全員が合唱した。ドイツ国旗を象徴する黒・赤・金のリボンが付いた大きな花輪はヴァルナー大佐と、後任のヘルムート・ゲーペル陸軍大佐が慰霊碑に捧げ、続いて出席者全員が献花して式典を終えた。この後、恒例の直会も滞りなく、和やかに行なわれた。

2002.10.20. 「ドイツ人留学生との親善バスツァー」開催

(財)日独協会と当協会との協賛。ドイツ人学生・研修生30人、日本側学生20人、両日独協会会員に加えて旧海軍兵学校77期有志の訪独親善合唱団「7 Chor」の19人の合計135人がバス3台に分乗して、「日独交流・房総の足跡」を訪ねる地に向かった。まず、第一次世界大戦で日本側の捕虜となり、習志野俘虜収容所で収容中スペイン風邪などで死去したドイツ兵30人の御霊を祀る船橋市営習志野霊園に。慰霊碑への献花、関係者の慰霊の辞など一連の式典を終えて、御宿町の歴史民族資料館の「五倫文庫」へ。世界各国の教科書、ワイマール帝国時代のドイツの教科書、同文庫ゆかりの翻訳本で有名な「ぼうぼう頭のペーター」(Der Struwwelpeter) に参加者は見入っていた。
豪華な料理が並んだ懇親会を楽しんだあと、御宿海岸で詩人で抒情画家・加藤まさをが大正12年に作詞した「月の砂漠」を記念する像、岸和田・田尻海岸の丘にある「メキシコ記念塔」(1609年、遭難したメキシコ船船員317人を村挙げて救助した碑)などを訪れて楽しい旅を満喫した。

2002.9.28. ビール祭りと講演会開催

JR総武線西千葉駅前の西千葉プラザホテル一階の喫茶店「サン」で開催。当協会会員ら31人が参加した。まず、当協会理事、鈴木淑弘氏による「カール・ギュツラフと我が国初の日本語『聖書』」の講演がスタートした。聖書研究会の会員でもある鈴木氏は、聖書に関する豊富な知識と軽妙な語り口で”知られざる「聖書史」”を語り、会員は感嘆しきりだった。鈴木氏は船橋市役所を辞めた際の退職金で購入したという260万円の聖書を会場で披露し、注目を集めた。この分厚い聖書はグーテンベルクの活版印刷でつくられた復刻版。本物の一冊は慶応大学が7億円で購入し、現在は同大藤沢校舎の金庫で保管中。閲覧だけで保険料などが必要だというもの。
鈴木氏は聖書は「世界一のベストセラー」と言い、旧約39巻、新約27巻の66巻から成っているが、紀元前1300年頃から紀元2世紀にわたって書き継がれ、聖書としての形が整えられたと、述べた。
同氏は、我が国のキリスト教伝来は戦国時代の1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルによってであるが、豊臣秀吉、徳川幕府時代で苛烈を極めたキリシタン弾圧により、聖書などの資料は皆無と語った。植民地政策先兵役としての布教の最大の武器である「聖書」の日本語訳を手掛けたのがカール・ギュツラフ。英領マカオで滞在中であった日本の遭難漁民・岩吉、久吉、音吉を「教師」に日本語訳に取り組んだ嚆矢だった。日本の鎖国政策による砲撃で、岩吉らの故国上陸もできず、初めての日本語による聖書も日のめをみなかった。この「ギュツラフの聖書」は明治学院など国内に8冊、海外に8冊の計16冊が残されているという。
このあとの「ビール祭り」は、実に賑やかにドイツ民謡を歌い、飲んで、食べて終えた。

2002.7.28. 「日独交流コンサート」後援

千葉県八千代市民会館において、当協会後援で開催された。「こぶしの会」会員で、当協会会員になった吉田千賀子氏が「日独交流コンサートを終えて」の一文を協会機関紙 die Eiche に寄せた。南ドイツのドナウ河畔・ウルム市から来日した弦楽室内合唱団と千葉県のブルーア・アルボ(1971年創立)が合同演奏を催した、そして歓迎会で「手振り身振りの会話」も交えて、「音楽は人の心を一つにする」を実感できた交流だった、という。

2002.7.6. チター演奏会開催

千葉市・JR総武線西千葉駅近くのレストラン「みどり」で、会員ら30人が参加して、2年振りに開催された。日本チター協会会長、内藤敏子先生の演奏と、曲の合間のトォークが絶妙。ことに、著名なチター奏者アントン・カラスとの交流をめぐる思い出話に会員らは聞き入った。

2002.5.18. 年次総会と講演会開催

千葉市・千葉みなとのグリーンタワーパレス千葉で開催された。まず、前年4月に死去した加藤吉昭当協会前会長に出席者全員が黙とうを捧げた。前年度の事業計画、同決算・会計監査報告、続いて新年度事業計画、同予算案を全会一致で可決・承認した。さらに、これまでの理事長、参与制を廃止し、顧問のみとする規約改正、次期役員を選出して終了した。

記念講演ではDAAD のメヒティルト・ドゥッペル高山博士が「私の見た川端康成」と題する講演を行なった。同博士は「日本人にとって大変難解と思われている川端だが、ドイツ人もすぐには定義できない「異質性」を感じる。つまり、彼の小説では常に「行間を読まなくてはならない」からだ」とし「小津安次郎の映画同様、退屈である。・・・欧米での評価は「小説は無形式」で、筋には「緊張感がなく論理的な構成に欠け…」」と。しかし、同博士は「私の考えは、彼は決して伝統主義者ではなく偉大な個人主義者であり、独自の作風を作り出し、しかも彼自身の文化の根源を忘れなかった芸術家である」「川端は源氏物語をはじめ古典文学、同時代の文学、欧米文学など豊かな文学的知識を持っていた。そのうえで彼は一つの状況の正確な観察と描写,即ち俳句のような「一瞬の固定化」を試み、これを連歌風に描写したのである」と、川端観を述べた。最後に、同博士は『雪国』『鏡』、晩年の未完『みづうみ』などを取り上げながら「川端が日本の古典文学と西洋の現代文学の形式と技術から彼独自の作風を作り出したこと、それ故決して日本的ではないことが分かり、私は最も面白い作品だと考えている」と語り、会員たちに感銘を与えていた。
講演会後の懇親会では、ユニークな活動をしている会員たちの紹介なども行なって、賑やかに会員、ゲストたちとの交流を終えた。

2001(平成13)年度の活動

2001.11.25. 第7回ドイツ軍人追悼慰霊祭開催

船橋市・市営習志野霊園で、ドイツの「国民哀悼の日」(Volkstrauertag) にちなんで開催された。第一次大戦後、日本の捕虜となり習志野俘虜収容所に収容中にスペイン風邪などで死去したドイツ兵30柱の御霊に、黙とうを捧げた。ドイツ大使館のライムント・ヴァルナー海軍大佐、平尾浩三当協会会長、船橋市長代理(小野武志環境部長)がそれぞれ慰霊の辞を述べた。同大使館の武官補佐官、フランク・モッテ准尉がドイツ国旗と同じ色の黒・赤・金のリボンをつけた大きな花輪を捧げて随行し、御霊の名前紹介、軍人葬送歌「よき仲間」(Der gute Kamerad) を全員が合唱、献花した。
このあと、親子2代にわたりこの墓(慰霊碑)を守ってきた石崎満・当協会理事のご尊父申之氏の墓に詣で、近くのレストランで直会を行なった。

2001.10.13. 滞日ドイツ人学生との親善バスハイク「つくば文化を訪ねて」

JR東京駅八重洲口近くのバス駐車場に、朝7時半、ドイツ人学生51人、日独協会会員・関東学生ドイツ研究連盟68人の計119人が集合。バス3台に分乗して、「郷の誉」の蔵元である(株)須藤本家を訪れた。創業平安時代後期の永治元年(1141)以来の伝統の酒つくり。樹齢800年のケヤキを大事に守り、100年以上経って浸み出てくる井戸水だけを使っている、との説明に、学生らは驚いた。「上撰水のごとし」といわれる銘酒をご馳走になったあと、千代田町の四万騎農園へ。明治初期、旧志筑藩郡奉行家・兵藤祐三郎開園の広大な栗農園(25ヘクタール)。ここで、特別に設えられた野点前に興じ、筑波山神社に詣で、沈む夕日に暫し見とれながら帰路についた。

2001.9.8. 臨時総会・講演会・ビール祭り開催

船橋市のJR船橋駅南口にあるステーキハウス「ヒロキ」で開かれた。ビール祭りに先立ち開かれた臨時総会で、加藤吉昭・前会長死去に伴う会長選任の件をはかり、平尾浩三氏を満場一致で新会長に選出した。また、加藤前会長の和子夫人を理事に選んだ。平尾新会長は「会長に就任して」を次のように述べた。
「協会設立の直接の動機となったドイツ軍人のお墓をお世話する志には今後もかわることなく・・・この思いを現在日本に滞在するドイツの方々と分かち合いつつ、いろいろな講演会、学習会、パーティや遠足等を共に盛り上げて、日独の交流を深めて参りたいと存じます」「何はともあれ、皆が寛ぎ、心打ち明けて交われる集いと致して参りましょう」。
このあと、(株)入舟屋社長和田昌行氏が「ドイツの河の源流を訪ねて」を講演した。続いて開かれた「ビール祭り」では、アコーディオン伴奏による独唱、合唱を楽しみながら、大いに飲み、食べて賑やかに過ごした。

2001.7.14. 横浜の工場見学会

当協会会員ら17人が参加し、京浜東北線鶴見駅から「横浜さとうのふるさと館」へ。東京電力・火力発電所をはじめ、生麦事件の記念碑、キリンビール生麦工場を視察、ビール試飲などを楽しんだ。

2001.5.19. 料理教室「ふれあいクッキング」開催

船橋市・船橋東部公民館で、日本食糧新聞社の協力で開催された。当協会初の試み。会員、知人ら25人が参加し、協賛6社から提供された食材、調味料を使いながら、わかめスープ、筍と若布のごま風味などの料理指導を受け、舌鼓をうった。

2001.4.28. 加藤吉昭・当協会会長(日本大学名誉教授)死去

多発性脳梗塞のため。享年73歳。加藤氏は1928(昭和2)年、横須賀市生まれ。1949年日本大学専門部歯科卒業、1969年同大教授。この間、1980年、1989年の2度にわたりベルリン自由大学客員教授に招かれた。1995(平成7)1119日の「ドイツ国民哀悼の日」(Volkstrauertag)にあたり、船橋市・市営習志野霊園に眠るドイツ兵士の追悼慰霊祭を40年ぶりに復活させた。加藤氏は、戦争根絶の誓いを新たにする日独協力事業推進者として、翌年千葉県日独協会を設立発起し、会長に就任されていた。葬儀は、同年53日、船橋斎苑で行なわれ、ドイツ大使館はじめ数多くの弔辞・弔電のほか、関係者の会葬が絶えず盛大な葬儀となった。
加藤氏に対し、428日付けで正五位勲三等瑞宝章が贈られた。

2001.4.21. 年次総会と講演会開催

千葉そごう10階ホテルオークラ・レストラン「桃源」で開催された。加藤会長が体調不良のため、国枝副会長が開会の挨拶をしたあと、死去された玉置名誉会長、高浦監事に黙とうを捧げた。前年度事業計画、決算・監査報告に続いて新年度の事業計画、同予算案が説明され、可決・承認された。
総会後、ドイツ大使館のフォルクマー・ステュカー公使が「21世紀の幕開けと日独関係」をテーマに講演した。同公使は日独両国の共通点に触れながらも、ドイツが通貨マルクを2002年から欧州統一通貨ユーロへ切り替えるなど「一つの欧州」を目指すこと、グローバル化の中で各国の新たな枠組みが重要になってくることを指摘した。観光や経済交流を積極化させる中で日独両国の絆を強化していきたい、と述べた。

2000(平成12)年度の活動

2000.12.31. 第九・ミレニアム演奏会後援

習志野文化ホールで習志野市内4団体メンバーからなるフェスティバルオーケストラ、500人の合唱団、習志野出身の指揮者・田久保裕一氏ら全員千葉県出身者のソリストという“手作りコンサート”が行なわれた。ドイツ大使館のケーラー文化部長ら多数の聴衆が詰めかけた。

2000.11.26. ドイツ軍人追悼慰霊祭開催

船橋市営習志野霊園で。ドイツ大使館からライムント・ヴァルナー大佐、同武官補フランク・モッテ准尉、加藤吉昭・当協会会長ら23人が参加、次々に慰霊の辞、献花を行なった。また、長年にわたり、このドイツ軍人の墓を守ってきた故石崎申之氏(当協会石崎理事の御尊父)のお墓にも詣でた。このあと、近くのレストランで行なわれた直会で昼食をいただきながら、会員、武官らの交流を深めた。

2000.10.21. 講演会とドイツワイン試飲会開催

船橋市海神で、当協会専務理事金谷誠一郎氏が、体調を崩された講演予定者に代わって登壇、「砂糖と健康」と題して、興味深い話を披露し会員らの関心を集めた。専務理事によると、砂糖は紀元前から貴重な疲労回復薬としてあったこと、原料は砂糖キビと砂糖大根があること、前者は亜熱帯・熱帯で、後者は比較的寒い地域で収穫されるという。これらからの砂糖抽出法は、1747年にプロシアのマルグラフにより発明されたもので、その歴史はせいぜい250年しかない、と同氏は述べた。同氏によると、砂糖は肥満や糖尿病の原因とされるが、これは世界保健機構(WHO)により否定されており、むしろ空腹時に砂糖水を飲むとある程度満腹感が得られて食欲効果がある、とされる。納豆に砂糖を少し加えてよく混ぜることによりナットウキナーゼを安定させて血栓を予防する効果があるとの説も紹介された。
会場を移して開かれた「ドイツワイン試飲会」では、和田浩行氏からドイツワインをめぐるさまざまな解説が行なわれ、即売会もあって大いに盛り上がった。

2000.10.14. 滞日ドイツ人学生との日帰りバスハイク開催

(財)日独協会主催で、「ドイツ学術交流協会 (DAAD) 」の学生、来日中のドイツ人企業研修生50人、当協会関係者7人を含む70人が参加して行なわれた。水戸市の偕楽園・弘道館などを見学しながら交流を深めた。

2000.9.9. 講演会とビール祭り開催

会場はJR船橋駅南口近くのレストラン「タタンカ」。ビール祭りに先立ち、当協会会員で元都立鷺宮高校教諭、柴田松太郎氏(古生物研究家)が「イチョウとケンペル」と題する講演を行なった。同氏は「イチョウは植物の中でも「化石」といわれる珍しい種」であると述べ、オランダ東インド会社の出島商館付医師として1690 - 1692年の2年間日本に滞在したドイツ人Eケンペルが持ち帰ったほどだと語った。また、同氏はゲーテがハイデルベルク城の庭で拾った2枚のイチョウの葉を詩の下に貼り付けたこと、詩人であり科学者でもあったゲーテが彼の論文「植物変態論」の中で、イチョウの葉の形成過程を論じていることなど興味深い話しを披露された。そのうえで、同氏は「イチョウの属名Ginkgoについて、イチョウの音読みからなったのか、(著書の)印刷時の誤植によるものか・・・」など古生物研究者ならではのお話しをしてくれた。
恒例の「ビール祭り」は高級ワインやチター演奏会、映画のそれぞれの招待券などのくじ引き、当協会プロたちの歌唱指導も加わって、楽しいひと時を過ごした。

2000.7.15. チター演奏会とワインの会開催

当協会恒例の第4回チター演奏会が柏市の「ゆうゆう倶楽部―TOMO」で、演奏者を含めて61人が参加して開かれた。「チロルの子守唄」などを会員が演奏に合わせて歌い、くじ引きも加わって会場がわき続けた。

2000.5.27. 年次総会と講演会開催

JR千葉駅・そごう10階のホテルオークラレストラン「桃源」で開催。恒例の前年度事業報告、同会計・監査報告に続いて、新年度の事業、予算案などの説明があり、それぞれ可決・承認された。
このあと、ドイツ大使館武官ライムント・ヴァルナー海軍大佐が「冷戦後のドイツの安全保障正常化への道」と題して講演をした。同大佐は、日独両国は第二次世界大戦で敗北し「憲法的な制約」の中で、国際的な危機管理から遠ざかってきた、と指摘した。しかし、ドイツはコール政権以降、1994年の憲法裁判所の判断を踏まえて変化してきた、とし「日本は未だ『一国平和主義』が尊重されており、政治家も再選を気にして平和維持のための武力行使の問題を有権者と論じる勇気を持っていない。・・・(日本が)いつまでも現在の状態を続けていると、国際社会から受け入れられなくなるであろう」と、警鐘を鳴らした。

2000.4.16. ハイキング「柴又の帝釈天・寅さん会館・矢切りの渡しを訪ねて」開催

当協会主催で、ドイツ人4人を含む会員ら計20人が参加した。タイトル通りの名所、江戸川周辺を散策し、江戸時代は厳重な取り締まりの要所であった「渡しの場」から栗山古墳群がある保存林の一角にある坂本隆夫氏(当協会理事)宅で日本舞踊、茶のお点前、差し入れのワインなどを楽しんだ。

1999(平成11)年度の活動

2000.1.15. 特別資料展「ドイツ兵士の見たNARASHINO習志野捕虜収容所 1915 – 1920」協賛

習志野市教育委員会と(財)日独協会主催、NHK千葉放送局、ドイツ・日本研究所、当協会協賛で、京成津田沼駅前の「ザ・クレストホテル津田沼」で開催された。第一次世界大戦で、日本側の捕虜になり、習志野俘虜収容所に収容されていたドイツ兵やオーストリア兵が1919(大正8)1225日に解放されてから80周年にあたるため催された。オープニングセレモニーでは、関係者が100人が参列する中、習志野市の荒木勇市長の挨拶に続き、ドイツ大使館からDr. ウーベ・ケストナー大使が式辞を述べた。
式典後、同ホテルの1階から4階の廊下、階段の壁に120点の写真がビッシリ展示される中、関係者は深い想いを噛みしめながら、見学した。これら一連の写真は、いずれも第一次大戦前後の日独関係史を物語るもので、ほとんどが一般には知られていないものばかり。なかでも、習志野俘虜収容所で繰り広げられた捕虜たちの文化活動やスポーツ競技、同収容所長・西郷寅太郎陸軍大佐(西郷隆盛の嫡子で、ドイツ・ポツダム陸軍士官学校修了)、捕虜たちの最高指揮官・ワルデック総督の写真が関心を集めていた。
レセプションでは、この史料展の開催にあたり、功労のあった人たちの表彰式が行なわれた。多数の史料を提供したドイツ・ボーフム市在住の郵趣家ヴィルダー・イェーキッシュ氏、捕虜のドイツ兵士が作ったボトルシップを貰った母から受け継ぎ、提供した習志野市在住・歌田實氏(当協会理事)に対し、松盛弘同市教育長からそれぞれ感謝状が贈られた。
当時の収容所関係者の遺族が紹介されて、参列者の注目を浴びた。▽西郷吉太郎氏(西郷寅太郎所長の孫)▽ヘルムート・ケテル氏(解放後、銀座に残りレストラン『ケテル』を開いた創業者=同名の孫)▽西山ふさ子さん(元ミュンヘン大学美術史研究者。捕虜解放後、日本に残ったDr.カール・ヴェークマンの姪。同氏は旧制松山高校、陸軍大学校、日本医大、戦後は成蹊大学でドイツ語教育と日本の文化・歴史の海外への紹介に貢献した)――など。
さらに、収容所で病死した兵士たちの墓を守ってきた故石崎申之陸軍大佐の長男で、当協会理事の満氏、史料展の史料の翻訳に協力した宗宮好和千葉大学助教授(当協会副会長)の功績が紹介された。レセプションでも日独関係に尽力している実に多彩な関係者が次々に挨拶をされて、熱気に包まれていた。

1999.11.21. 講演会とドイツワイン試飲会開催

会場はJR津田沼駅近くの船橋市東部公民館。ワインの試飲会講師は、日本人2人目のワインマイスター、和田浩行氏(東京中央区八丁堀「入船屋」3代目)。和田氏が語るワイン・ラベルの見方、仏・伊ワインの違い、ぶどうの摘み時期が異なるワインの話などを聞き、そしてそれらのワインをいただきながら、ひと時を楽しく過ごした。
ワイン試飲会に先立って開かれた講演会では、当協会会員の美浦義明氏が「化学物質はなぜ地球を汚染したか」をテーマに話をされた。美浦氏は、15世紀以降の近代西欧思想から20世紀の2度の世界大戦、冷戦を契機とした技術革新、科学の技術化、技術の工業化・産業化に至る経緯をふり返りながら、これからは「循環型の産業構造に転換し、政治・経済の仕組みを変革し、循環と共生の社会システムを目指すべきである。そのキャテイング・ボートを握っているのはわれわれ生活者・消費者である」と、述べた。

1999.11.14. 第5回ドイツ軍人追悼・慰霊祭開催

船橋市・市営習志野霊園にて開催。第一世界大戦後日本側の捕虜となり、習志野俘虜収容所に収容中に当時大流行したスペイン風邪などで死去したドイツ兵士30人を追悼、慰霊するもので、当協会の主催。この9月に着任したドイツ大使館武官ライムント・ヴァルナー海軍大佐が追悼の辞を述べ、慰霊の墓参を続けている当協会に対し謝辞を表明した。関係者・団体など全員の献花が行われた。
この後、幕張・グリーンタワーホテルに会場を移して、ヴァルナー大佐夫妻の歓迎会を行なった。当協会名誉会員の臼井日出男法務相が公務多忙の中、会場に駆けつけた。同法務相は元防衛大臣であり、同大佐は感激しながら、これからの日独の友好親善と交流について会員らと歓談した。

1999.9.25. – 10.3. 「ドイツ周遊の旅」(湘南日独協会主催)に参加

参加した当協会副会長、国枝誠明氏が一文を、当協会機関紙die Eiche No.11 (1990.10.25.発行)に寄せた。参加者は湘南4、長野県16、東京3、千葉1の各日独協会から計24人。ドイツ連邦共和国建国50周年の節目にあたり「ドイツにおける日本年」の開会式がベルリン・コンツェルトハウスで開かれ、これに参加したこと。ゲーテ誕生250年に当たるこの年にワイマールのゲーテの家を訪ねたり、ゲーテ街道や中世古都の美しい街並みに改めて感銘を受けた、と綴っていた。

1999.9.18. 講演会とビール祭り開催

会場は「ジョン万次郎」船橋店。ビール祭りに先立ち講演会で、当協会副会長の田久保忠衛氏(元時事通信社解説委員)が「今日の国際情勢」をテーマに1時間話をされた。田久保氏はこの中で「国際情勢は事実がものを言う」としてコソボ問題を取り上げ、ドイツの社民党シュレーダー首相、緑の党フィッシャー副首相兼外相が「一国平和主義は許されない」として、ユーゴにトーネード出撃機を参加させたことを指摘。「これは戦後、日本と同様に基本法(憲法)に縛られていたドイツが民主主義を守るべく完全に変身した」と同氏は述べて、日本の「ピント外れの外交」「経済援助で勘弁してもらう“文民国家”」などと語った。ビール祭りでは、ドイツのレーベンブロイと食事、アコーディオン演奏、歌唱指導によるドイツリートを参加者30人が楽しんだ。

1999.7.3. チター演奏会とワインの会開催

会場は柏市の「ゆうゆう倶楽部―TOMO」。この演奏会はこれで3回目。会員・家族、日本チター協会会員ら総勢41人が参加した。同協会会長の内藤敏子先生奏でるチターに、楽器としても珍しいハックブレット演奏が加わるなど「美しいアルプスの花」「バルバラのダンス」などをワインとともに楽しんだ。

1999.5.15. 年次総会と講演会開催

会場はJR千葉駅横のそごう10階ホテルオークラのレストラン「桃源」。開会に先立ち、56日に90歳で死去された当協会名誉会員、東山魁夷画伯(市川市在住)に全員が黙とうを捧げた。挨拶に立った加藤会長は、重点事業としている習志野市教委など企画の「ドイツ軍捕虜帰国80周年記念行事―特別史料展ードイツ兵の見たNARASHINO19151919習志野俘虜収容所」への協力などを呼び掛けた。前年度事業、同会計・監査報告、新年度事業計画案、予算案などが説明され、可決・承認された。
続いて、来賓として出席した「ドイツ学術交流会(DAAD)」東京事務所次長、Dr.シルヴィア・レーケン女史が「ドイツの大学で何かが起こっている」と題した講演を行なった。レーケン博士は「DAADはドイツの大学の協同組織であり、大学の外国局と共同して大学生と学者の国際学術交流に係る重要な機関である」と説明した。交流の内容について、同博士は「1998年に約100種の交換計画で、外国人24,000人、ドイツ人33,000人の計57,000人の学生と大学卒業生に補助金が与えられた。約1,600人の日本人が長期にわたってドイツの大学で研究中である」と話し、ドイツの国際貢献と交流に果たしている役割を強調していた。

1998(平成11)年度の活動

1999.2.20. 習志野文化講演会に参加

千葉県・習志野市教育委員会、習志野市国際交流協会の共催により、350人が参加して習志野市民会館で開催された。講師は、ボン大学教授、ペーター・パンツァー博士(オーストリァ国籍)。同博士は、習志野俘虜収容所のドイツ・オーストリァ兵869人について研究しており、講演はこの成果をもとに、流暢な日本語で行なわれた。
同博士は、訪日親善巡航の途にあったオーストリァ海軍巡洋艦「カイゼリン・エリザベート」が中国・青島に廻航、自沈した経緯を述べ、俘虜収容所にいたドイツ・オーストリァ兵士たちは活発な文化活動、スポーツを行ない、オーケストラ演奏で住民との親善に努めたという。この度、博士が発見した資料により、「美しき青きドナウ」が1919(大正8)622日夜、習志野で「第7回収容所捕虜オーケストラのコンサートで演奏されたことが確認された、という。

1999.2.6 「御宿町歴史民族資料館」見学と懇親会実施

当協会が主催して実施した。ドイツ大使館のビーダーマン文化部副部長、TUVヴァルバウム検査官、(財)日独協会、当協会幹部ら20人が参加した。ドイツ・フランクフルトの「シュトルゥッヴェル・ペーター博物館」と姉妹提携している「(財)五倫文庫・歴史民族資料館」を見学した。同文庫は1892(明治25)年、御宿小学校の伊藤鬼一郎校長が同家に伝わる寺子屋教科書で五倫文庫の前身である伊藤文庫を創設したのが始まり。以来、今日まで64ヶ国、32,000冊の義務教育の教科書を集めて展示している。
文庫の一角に、ドイツで有名な「ぼうぼうあたまのペーター」(Der Struwwelpeter) の日本語版が展示されている。初版は1936(昭和11)年の伊藤庸二訳、第2版で推薦の言葉を書かれた(財)日独協会、是川洋子氏の夫君・正顕氏(元フランクフルト大学結晶研究所長)の手書き原稿もそれぞれ展示されている。
参加者はこのあと、浜辺にある「月の砂漠記念像」を訪ねた。1923(大正12)年、御宿に滞在していた抒情詩人で画家の加藤まさをが童話「月の砂漠」を書いた記念に作った碑。さらに、「メキシコ記念塔」などを見学して、研修・懇親を深めた。

1998.11.15. 文化講演会開催

千葉そごう10階レストラン「サファイア」で開催。講師は、故丸山千里博士の後継者で、日本医大ワクチン療法研究施設の責任者、藤田敬四郎医学博士。演題は「丸山ワクチンの現況と展望」。藤田博士は、丸山ワクチンの特徴として、①副作用がない ②身体の免疫力を高めて身体の環境を良好にして、がん細胞を封じ込めたり、共存を可能にする、を挙げ強調した。そのあとで、スライドを使って各種がんごとに丸山ワクチン投与後5年以上の生存率を示された。19794月から19983月までに他の病院から紹介されてきた末期がん患者 228,301 例の、5年以上の生存率は9.71%。 10%を超えたのは乳がん(23.58%)、前立腺がん(16.56%)、子宮がん(18.82%)、甲状腺がん(28.53%)、卵巣がん(12.25%)、舌がん(17.21%)、膀胱がん(18.10%)、腎臓がん(11.99%)などである、という。中には、12年前卵巣の末期がんで死が迫っていた患者が丸山ワクチンの投与で今日でも存命している、と博士は明らかにし、最近はフランスやアメリカ、アジアなどの国々から注目されていると、述べた。

1998.11.8. ドイツ軍人追悼慰霊祭開催

船橋市営習志野霊園で。ドイツ大使館から国防武官ペーター・トロップ・シューグ空軍大佐の追悼の辞、加藤当協会会長の挨拶、埋葬されている30柱の名前が紹介され、全員が献花して冥福を祈った。

1998.10.10. 滞日ドイツ人学生と房総日帰りバスハイク実施

滞日のDAAD留学生76人と、(財)日独協会会員、当協会会員、関東大学ドイツ研究会連盟の129人がバス3台に分乗し、アクアラインから海ホタルを経て、安房小湊の日蓮上人の誕生寺を訪ねた。同寺の好意で病弱の大正天皇幼少時の病気平癒を祈った祖師堂、7万本の写経を収めた輪堂、さらに普段公開していない明治天皇16歳当時の肖像画を見せてもらった。
この後、鴨川シーワールドへ移動し「日独親善交換パーティ」を開き、シャチ、イルカのショーを楽しんだ。

1998.10.4. 経済講演会とビール祭り

会場は「ジョン万次郎」船橋店。当協会のビール祭りはこの年で3回目。この日が本場ドイツ・オクトーバーフェスト最終日に当たり、ドイツ観光協会から入手した大きなポスターが会場の雰囲気を盛り上げた。ビール祭りに先がけて行なわれた恒例の講演会のテーマは「最近の国際情勢とドル /マルク/円の行方」で、講師は前ミッドランド銀行上席顧問、久保田信也氏。久保田氏は日本の経済情勢について「経済改革のペースは遅く、危機の認識不足、及び経済実体の悪さから悲観論も多く、将来へのシナリオができていない」と語った。さらに、同氏は「米国は国内のバブル対策を早めに打っており、目先はドルが乱高下の後、再び円安に向かう」「近い将来発足するユーロはドルよりも強くなろうが、個人資産運用対策としては流動性に勝る米国国債が良いと思う」などと述べた。

1998.9.12. 「ちば文化祭’98 」に出展

「ちば文化祭」(実行委員長、沼田武・千葉県知事)はことしで7回目。千葉市幕張メッセ国際展示場で各種79団体が参加して開催した。当協会も要請を受けて、インターナショナルゾーンのブースに出展・参加した。
当協会は「ドイツ情報コーナー」と、「ドイツ人との対話コーナー」を開設した。いずれもドイツ大使館、同観光局、20にのぼる在京ドイツ機関・団体などの協力を得て、ドイツ語の会話指導や情報、テキストの配布を行ない、好評だった。

1998.7.4. ドイツ語受講生との懇親会開催

(財)日独協会主催、当協会協賛の「ドイツ語講習会船橋教室」(1998.4 - 9月コース)の受講生と講師のRita Briel 先生(慶応大、独協大講師)、両協会会役員ら20数人が参加して、それぞれのドイツ語との関わりなどを話し合ったり、ドイツ民謡などに興じた。

1998.6.27. チター演奏とドイツビール、ワインを楽しむ会開催

柏市のフーズ・バー「TOMO」で開かれた。当協会会員、家族など25人が参加し、日本チター協会会長で当協会理事の内藤敏子先生が奏でる名曲に耳を傾け、その後ビュッフェ形式の料理、ビール、ワインを楽しんだ。

1998.5.16. 年次総会と講演会開催

会場は船橋グランドホテルで、会員43人が出席した。加藤吉昭会長挨拶の後、前年度事業、同決算・監査報告が報告された。続いて、新年度の事業案、予算案などが提案通り、可決・承認された。
総会後、ノルトライン・ウェストファーレン州駐日代表、織田正雄氏を講師にお願いし、記念講演「民富まずして国富まず」に移った。織田氏はヨーロッパの地形、ドイツの位置、さらにルール工業地帯を抱えるNRW州の人口やGDP、企業誘致に触れながら、「日独両国戦後復興の足跡を顧みると。ドイツが相続税を軽くして個人の富の蓄積を優先させたストック経済に対し、日本は平等を優先するフロー経済を選んだ」「このため、日本は富の蓄積は困難で国が富むに至っていない。(江戸時代に)米沢藩を蘇らせた上杉鷹山の言う『民富まずして国富まず』を再考すべきである」などと語った。